2007/06/18

評価

「この国は頭を撫でてもらう事ばかり求めているクリスチャンで満ちている」

先日参加したセミナーで、ある先生が言った言葉が非常に印象に残った。少しはましになったかも知れないが、ボクだって相変わらず基本はそうだ。でもそこに留まっている限り、ちっとも先には進まない。どんな状況に置かれても、いや、困難の中でこそ信仰の火をますます熱く燃やす事ができるクリスチャンこそが求められているのだ。だから、キリストの弟子としての訓練の最終目標は、健全な意味での自立であろう。依存状態をあえて断ち切って、自分の足で立ちあがれるような意識的な訓練が必要だ。獅子がその子を谷間へ突き落とすように。

一方で、日本人はクリスチャンも含め、あまりにも自信がない人が多い。これは、小さい頃から適切に誉められるという事がほとんどなかったからだ。存在そのものが受け入れられたり、他の誰かとの比較ではない部分でその人の中での小さな成長に目が留められて、正しく評価されるということがあまりにも少ない。日本の学校や会社のシステムがそうであろうし、何よりも家庭がそのように機能していない事が多い。このような日本の文化の中で育ったクリスチャンが、「頭を撫でてもらう事ばかり」求めているのは、ある意味で当然のことである。そのような人には、存在そのものが尊いということを肌で感じられるようにしてあげなければならない。

厳しくする事。誉める事。
そのバランスとタイミングは難しい。

教育や子育て。
すべて次世代を育てるために労している方々を心から尊敬します。

まずは、自分の中にしっかりと芯の通ったゆるぎない価値観が根付く事。そのために、表面に出てくる部分以上に、内面の動きにもっと敏感になる必要があるとあらためて思わされた。


このブログはそもそも、そういう極めて個人的な目的のために始めたものだったんだなーと思い、これからまたその事を追求していきたいと思っています。

0 件のコメント: