取税人や罪人たちと親しく過ごしていたイエス。
自ら選んだ弟子達は、いつも誰が一番偉いかと比べている。
内も外もぐちゃぐちゃ。
イエス自身の評判は真っ二つに割れていた。
しかしイエスは自分の評判など気にもとめていなかった。
体裁を整えることでは届き得ない人々がいる。
イエスの目はあくまでも救われるべき魂に向けられていた。
そのすべての悪評を受けて立つ覚悟があった。
それがイエスの負われた十字架だった。
十字架を通してでなければ、見えてこない世界。
心を定めるという勇気。
待ち望む、御霊の注ぎ。
2008/05/05
手と手
さあ人を造ろう。
われわれのかたちとして、われわれに似せて。
(創世記1:26)
似てる。
色んな所が似てる。
そんな細かいところまで似てなくてもいいのに、
と思えるような所が似てる。
手と足は、間違いなくボクだ。
今日、隣の部屋にいる、生まれて5日目の赤ちゃんの手を見てびっくり。
指がすらっとして長く、えらくスマートな手をしていた。
ゆーこちゃんは、「2日違いでこんなに違うんだー!」って言ってたけど、
いやいや、それは違うでしょ。
間違いなくこれは、パパの手に似たぽっちゃりお手々です。
足も肉厚で、そっくり返った爪の形まで似ている。
でも、そんな小さな所に、自分自身の姿を見出すと、
たまらなく愛おしくなるんです。
目と口はゆーこちゃんに似てる。
あれ?
でも何だか昨日よりも、顔がボクに似ているように見える。
生まれたばかりは顔がコロコロと変わると言うけれど、
本当にそうなんだぁ!
でも、やっぱりこの切れ長な目はゆーこちゃんだろうな。
世界で一番大好きなゆーこちゃんと、
自分自身の姿にそっくりな赤ちゃん。
なんだか不思議。
でも、これが喜びの源なんだなって思う。
神様が、どんな風に人を見ているのか、
ちょっぴり考えさせられた。
2008/05/03
野の花のように・・・
神である主は・・・それにどんな名を彼がつけるかを見るために、
人のところに連れてこられた。
人が生き物につける名はみな、それがその名となった。
(創世記2:19)
新しい命に名前をつける。
どんな名前でも、私がつける事が出来る自由。
親として、まず与えられる大きな責任。
妊娠中、ゆーこちゃんと一緒にいろんな名前を考えた。
まず、ボクたちに与えられた願いは、
もしこの子が女の子だったら、誰もが呼びやすい、
かわいらしい響きの名前にしたいね、ということ。
皆が自分の名前を呼ぶたびに、プラスのイメージが与えられること。
いくつか候補はあがったものの、
その時点ではどの名前にも確信が得られず、
結局「生まれてきた子の顔を見て決める」ということにしました。
さて、出産当日。
生まれて来た赤ちゃんを見て、ゆーこちゃんが、
ゆーこ「名前はどう思う?」
けんじ「うん。ののかちゃんかな?」
ゆーこ「やっぱりそうだよね?漢字は?」
けんじ「野の花」
ゆーこ「うん。『の』の字は?」
けんじ「『乃木坂』の『乃』、緋奈乃ちゃんの『乃』」
ゆーこ「うん。やっぱりそうだよね!」
今までずーっと、はっきりと決まらなかった名前でしたが、
生まれて来たその子を見た瞬間に、
候補にあがった名前の中から、二人の思いがあっさりと一致したのでした。
≪命名≫
佐藤野乃花
さとうののか
≪みことば≫
地には花が咲き乱れ、歌の季節がやってきた。(雅歌2:12)
栄華を極めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも
着飾ってはいませんでした。(マタイ6:29)
≪祈り≫
1.神ご自身のうちに平安を見出す者でありますように。
今日は咲き、明日は枯れてしまうような野の花ですら、
神様は栄華を極めたソロモンよりも美しく装ってくださいました。
ありのままの自分の姿で神の御前に精一杯あゆみ、
自由と平安を見出す事が出来る者となりますように。
2.自分の存在そのものを通して、神様の素晴らしさを現す者でありますように。
地に花が咲き乱れると、神への讃美が湧きあがります。
可憐に咲き、賞賛を浴びる花もあるかもしれません。
でも、たとえ誰にも見られなかったとしても、
野に咲く花は、健気に美しく咲き、創造主の栄光を誉め讃えます。
そんな野の花のように、どんなときにも神様の素晴らしさを現す者となりますように。
3.人々の心に、温かい安らぎを与えられる優しい女性として成長しますように。
一面の緑の中に、ポッと輝く野の花は、たとえそれがどんなに小さくても、
見る者の心に湧きあがる喜びと、温かい安らぎを与えてくれます。
花は決して強くはないけれど、その柔らかさを通して、人の心に力と感動を与えます。
神様から受けた自由と愛をもって、そのありのままの姿を通して
他の人の心を豊かにすることが出来るような、優しい女性として成長しますように。
主よ。
新しい命が、あなたに造られた者として、
この地上でのあなたの計画に従って、
自由に、かつありのままに歩む事を通して、
神に栄光を帰する者となりますように。
そのために、まずあなたの愛と、私たち家族の愛と、
多くの方々の愛をいっぱいに受けて、
健やかに歩むことができますように。
託された命を、たいせつに育てます。
どうか、ひとときも離れることなく、
私たち家族とともにいてください。
ハレルヤ!
2008/05/02
誕生!
我が家に新しい家族がやってきました!
結果として予定日の一日前、
5月2日 午前5:48、3250グラムの元気な女の子です!
ゆーこちゃんは大阪での里帰り出産で、
どうしても立ち会いたくて、
いつ大阪に向かうかがすごく難しかったです。
前駆陣痛があれば、すぐに向かおうと思っていたけれど、それもありませんでした。
昨日夜10時半ごろにわずかに破水。
それで、朝一番で向かうことに決めました。
でも、ゆーこちゃんは12時過ぎに陣痛が始まり、
あっという間に10分間隔、8分間隔となり、
夜中の3時前には助産院に向かうことになりました。
そして、朝一番でボクも大阪へ向かいました。
ところが、なんとまだ新幹線に乗る前に、
ゆーこちゃんのお母さんから携帯の留守電に連絡が。
「元気な女の子が生まれました!」
えーー!早い、早過ぎる!
あまりにも早すぎて、正直ぽかーんとしてしまいました。
一緒に居てあげられなかったことが、
そして、苦しみを通り越して生み出される新しい命の誕生の瞬間を
共有できなかったことが残念で残念で、力が抜けてしまいました。
でも、すぐに次の瞬間に、新しい命が無事に健康に生み出されたこと、
そして、ゆーこちゃんも守られた事、
そのことに優る喜びはないんだ~と、しみじみ感じて、
心から神様に感謝しました。
ゆーこちゃんと手短に電話で話しました。
「よくがんばったね。ありがとう!」
9時半過ぎにゆーこちゃんと赤ちゃんの待つ助産院に着きました。
とにかく、まずゆーこちゃんに感謝。
「よく、がんばったね~!大変だったでしょう?ありがとうね」
「うわ~、かわいい!ちっちゃい!」
写メールで送られてきた赤ちゃんの姿は、結構しっかりしていて、
大きい感じがしたけど、実際はやっぱりうまれたばかりのちっちゃい赤ちゃん。
なんだか、とっても不思議。
最後に会ったゆーこちゃんは、お腹がパンパンに大きくなっていたのに、
それがちいさくなっていて、代わりに横には自分の子が・・・!
自分の子?
実感が湧くような、湧かないような・・・。
目と口はゆーこちゃん似かな?
耳と鼻はと手はけんちゃんに似てる?
かわいい泣き声だねぇ!
そうやって声をかけたり、
抱っこしたり、
おむつを替えたり・・・。
そうこうしているうちに、
だんだんと実感が湧きあがってくる。
確かにボクの子だ。ボクたちの子だ・・・!
立ち会うことが出来なかったのは確かに残念だけど、
それよりもはるかに優る、新しいいのちの喜び。
これから、一緒に歩んで行こうね。
ようこそ、ボクたちの家族へ!
生まれてきてくれてありがとう!
大切にするよ。
よろしくね!
登録:
投稿 (Atom)