2008/05/11

黙想

取税人や罪人たちと親しく過ごしていたイエス。
自ら選んだ弟子達は、いつも誰が一番偉いかと比べている。
内も外もぐちゃぐちゃ。
イエス自身の評判は真っ二つに割れていた。

しかしイエスは自分の評判など気にもとめていなかった。
体裁を整えることでは届き得ない人々がいる。
イエスの目はあくまでも救われるべき魂に向けられていた。

そのすべての悪評を受けて立つ覚悟があった。
それがイエスの負われた十字架だった。


十字架を通してでなければ、見えてこない世界。
心を定めるという勇気。

待ち望む、御霊の注ぎ。

1 件のコメント:

さとけん さんのコメント...

本当に必要を感じている人に対して、自分はまったく届いていないなぁと、ただただ悔い改めさせられる。その根本は自分のうちに「定まった心」がないこと、すなわち十字架を負うことを無意識/意識的に避けようとしていることがある。

だから人間的、肉的なレベルでの葛藤でなんとかしようともがく。もうひとつ違う次元へとの脱皮が必要だと思う。