取税人や罪人たちと親しく過ごしていたイエス。
自ら選んだ弟子達は、いつも誰が一番偉いかと比べている。
内も外もぐちゃぐちゃ。
イエス自身の評判は真っ二つに割れていた。
しかしイエスは自分の評判など気にもとめていなかった。
体裁を整えることでは届き得ない人々がいる。
イエスの目はあくまでも救われるべき魂に向けられていた。
そのすべての悪評を受けて立つ覚悟があった。
それがイエスの負われた十字架だった。
十字架を通してでなければ、見えてこない世界。
心を定めるという勇気。
待ち望む、御霊の注ぎ。
30代半ばのクリスチャン。 毎日を真摯に生きていくために自己対峙していきたいと思います。
1 件のコメント:
本当に必要を感じている人に対して、自分はまったく届いていないなぁと、ただただ悔い改めさせられる。その根本は自分のうちに「定まった心」がないこと、すなわち十字架を負うことを無意識/意識的に避けようとしていることがある。
だから人間的、肉的なレベルでの葛藤でなんとかしようともがく。もうひとつ違う次元へとの脱皮が必要だと思う。
コメントを投稿