2006/03/31

Revolution

話題の"Revolution"という本を読み始めた。

George Barnaという人が書いた本だが、リバイバル新聞に載っていた記事をみて、どうしても読むべき本という気がして、Amazonで頼んでおいたのだ。最初の3章ぐらいしか読んでいないが、恐らくこの本で述べられている内容は、今ボクが抱えている問題意識とかなりオーバーラップする。

C-BTEの学びの時にもはっきりと自覚したのだが、ボクたちが生きているこの時代は、「教会」のあり方に、数百年に一度くらいの周期で起こりうる、ラディカルな変化が生まれつつある時だ。よって、ボクたちが当たり前に考えているクリスチャンのあり方、教会のあり方などを一旦主にお返ししなければ、この変化についていく事はできない。

ボクたちが、本当に神を愛し、人々を愛していくために、もう一度、考え方の枠組みを、みこころに従って構築し直す必要がある。

"Revolution"には、すでに実際にそのような変革に、信仰をもって踏み出した人々の姿が書かれている。本の中で、そのような人々は「革命家(Revolutionaries)」と呼ばれている。

彼らは、以下のような情熱によって特徴づけられるとのこと。

1. Intimate Worship(親密な礼拝)
2. Faith-Based Conversations(信仰に基づいた会話)
3. Intentional Spiritual Growth(意図的な霊的成長)
4. Servanthood(しもべであること)
5. Resource Investment(資源の投資)
6. Spiritual Friendships(霊的な友人関係)
7. Family Faith(家庭での信仰)

要するに、クリスチャン一人一人の献身が問われているのです。
うーん。ドキドキします。

また、読み終わったら何かしら書きたいと思いますねー。

2006/03/30

働き人

収穫は多いが、働き人が少ない。
だから、収穫の主に、収穫のために
働き手を送ってくださるように祈りなさい。
(マタイ9:37-38)

働き手が少ない。
なぜだろう。

いくつか原因は考えられる。
1. 働き人となれる人が物理的にいない。
2. 働き人になれる可能性はあるが、適切な訓練を受けていない。
3. 働き人になれる人はいるが、機会が与えられない。
4. 働き人となることの意味をしっかりと把握していない。
5. みんな忙しすぎる。
6. 働き人が忙しくて、次の世代を育成できない。
7. 働き人が忙し過ぎて、次の世代が魅力に思わない。

でも、働き人、そして次のリーダーたちを育てていくのでなければ、
本当に長期にわたって機能するような働きにはなっていかない。

考えなければならない大きなテーマはこれです。
「リーダーとして、どんな人を育成していったらいいのだろうか」
普遍的でありつつ、今の時代に即した、永続する教会を建て上げていくために、
どのような人材が必要なのだろうか。

これを考えるにあたっては、まず「教会」の概念を吟味してみる必要がある。
そして、今の時代がどのような時なのかを見極める必要がある。

結論的に言うと、
正しく自立した信仰をもった人。
何が健全な教えなのかを聖書から自分で導きだすことができる人。
あつい情熱をもって、キリストが召した所で命をかけて仕える事が出来る人。


私たちは、主の弟子として、訓練を受けなければなりません。
多くの人にとって、「聖書の言っている事をじっくり考えて、その思想をつかみ取る」
ということはあまり訓練されず、人が教えてくれた答えを丸暗記するような勉強のしかたしか
してこなかったのではないでしょうか。
いろいろな新しい枠組みの所へ飛び出していって、イエス様の素晴らしさを伝えて歩くのだとしたら、
その場所における生きた現状/問題と、聖書のみことばを正しく結びつけてやる必要があります。
そうしてこそ、単なる慈善活動ではない、キリストにあった福祉、奉仕、宣教ができるのだと思います。

こういう形で人を育てるのは、なかなか難しいと思うが、
長い目で見ても、このような訓練がないと、
さまざまな働きは、ただの福祉事業に終わってしまう。

「弟子訓練」という時、やっぱり「じっくり考える」という行為(考え方)そのものが訓練される必要がある。

主よ。働き人を送ってください!
私も働き人の一人ですが、どうか自分自身がなすべき事をきちんと見極め続ける事ができるように、
私を整え、用いてください!

2006/03/28

ただいま

帰ってきました!
どこに行ってたかって?
うーん。どっか行っちゃってたんです・・・。

去年体調を崩して以来、久々に仕事をかかえこんでもがいているような状態になりました。
でも、個人的には昨日で一段落。
そのとたんに肉体的にも精神的にもずいぶんとスッキリしました。

ストレスを抱え込んでしまう傾向は変わってないなー、と思いながら、
それでも少しは変わったかな?と思う点を前向きにリストアップしてみよう。

1. 思うように行かない時でも、人格が否定されたような感覚にまではならない。
2. 必要以上に成果を良く見せようと思わない。
3. なんだかんだ言いながらも、それなりに健全に息抜きできるようになっている。
4. 孤独だとは思わない。
5. 他の人を責めようとは思わない。
6. 回復が早い。
7. 立ち位置がずれそうになっても、ちゃんと戻れる。
8. 自分の力量をしっかりと意識しながら作業できる。
9. このリストにあげてるような事を自覚的に意識できるようになっている。

うーん、素晴らしい。(笑)
この数ヶ月の訓練は無駄ではありませんでしたな。


さて、この期間何をしていたのでしょう?
これもちょっとリストアップします。

1. 2006年版「教会紹介」の冊子の作成。
2. ハーベストスクール「体験スクール」実施。
3. 近隣の教会での礼拝メッセージ奉仕。

後は日々のもろもろの作業です。
この中でメインは「教会紹介」の冊子づくりでした。
今度の日曜日(4月2日)が教会の「奉献記念礼拝」なので、
そこに配れるよう、ギリギリのギリギリで昨日原稿を入稿しました。
かなりイッパイイッパイになりながらも、恵みの時でした。

その中から、一カ所だけ図を引用します。
私が普段教会の働きに関わりながら、いろんな動きを見ながら、
この働きをどうやったらより良く理解できるだろう?
適切に関われるだろう?と思って祈っている中で示された図です。



教会の働きで、私たちが重点をおいているのは次の3つ。
1. 礼拝
2. ファミリー
3. 奉仕・宣教

そして、その働きを支えている、建て上げの働きは以下の3つ。
1. 祈り
2. 教育(みことば)
3. 実務

この図の特徴は、目に見える働きが広がれば広がるほど、
その中心で苦しみながら、祈りとみことばと事務的な働きに踏みとどまる人が必要であり、
それがあってこそ働きが前進するというイメージを視覚化できたこと。
それぞれの働きを広げるほど、真ん中の部分は「引き裂かれるような」痛みを持つのです。
そして、その中心にはイエス様の十字架。
何よりも、イエス様がこの位置に立ってくださっているからこそ、
私たちは働きを進める事ができるのです。
十字架で引き裂かれたイエス様のからだ。
そのからだと血潮を覚える聖餐を覚えないではいられません。

そして、その痛みを伴う部分に、実務(事務)の働きを組み込む事ができたこと。
おそらくほとんどの教会の牧師先生たちもそうでしょうが、実際に牧会していく時には、
この事務的な働きの占める割合が本当に大きいと思います。
これは、自分が事務の働きに身を置く献身者として仕えさせてもらったが故の視点です。
苦しみつつもあえてそこに身を置ける人がどうしても必要だと思うのです。


そんなこんなで、どっか行っちゃってたけど、
とても収穫の多い期間でした。
お祈りで支えてくださった方々、ありがとうございます。

神様、ただいま!

2006/03/21

直感

教会の属している連合の総会に出席した。
「出席する事に意味がある」という程度にしか思っていなかったのだが、
個人的にはなかなか有意義な時を過ごせた。


昼食の時。
昔お世話になった、若者に人気の通称「のりのり」と呼ばれる牧師先生に久しぶりに会い、昼食の時はずっと話をさせてもらった。見違えるほどスマートになったのりのりを見て、体調を壊したのではないかと心配になったが、実際にはその逆で、地道な食事療法を2年以上続けた成果の表れだとの事。いろいろな意味で、ボクが取り組んでいる事一つ一つの、一歩先を歩んでいってくれている気がしてうれしかった。


総会の所々で、その場では分からないはずのWBCの最新情報が時々報告されるのも嬉しかった。
(8回の時点での情報に対して、「そのために祈りましょう」と議長に投げかけたウチの牧師もすごいと思ったが・・・)

何よりも「実直に取り組んでおられる各教会の取り組みは、絶対に主に覚えられている」という、希望と平安を直感的に感じる事ができたのが一番嬉しかった。それは、悩みと苦しみの中からのみ生み出される類の、100%主だと理解できる事が起ころうとしているのだと思えたからだ。


主よ、どうか日本の教会を顧みてください。
私たちの理解を超えた、大いなる事をなしてください。
私たちは、負うべき重荷を担います。
主が栄光をとってください。
信頼します。主よ。

2006/03/20

誠実と正直

神に対しては、できる限り正直でありたい。
人に対しては、できる限り誠実でありたい。


『7つ習慣』のコヴィー氏によれば、
正直というのは「言葉を現実にあわせること」であり、
誠実というのは「現実を言葉にあわせること」なのだそうだ。


もちろん、正直であろうとするなら、誠実であることも求められるし、
誠実であろうとするなら、正直であることも求められる。
それぞれの言葉の解釈には、いろいろな考え方があるだろう。
しかし、意識のレベルであえて適切に使い分ける事によって、
心の動きを訓練する事が出来るかもしれない。


神に対して、私が行なうべき大切な事は、祈りである。
「みこころにかなった祈りをすれば聞かれる」という言い方を時々聞く。
頭のいい人は、そこで「ふむふむ、じゃあこう祈ればいいんだな」と、「みこころにかなった祈り」をささげはじめる。しかし、現実には何がみこころなのかは、祈る前には実際には分からないのだ。
だから、自分自身の偽らざる感情、個人的な願い、希望や不安など、神の前にはなるべく包み隠さず祈るようにしよう。そうでないと、神との関係が建前だけになってしまう。そして、生身の正直な自分自身が生きている現実の場に、神を迎え入れることができなくなってしまう。

人に対して、私が行うべき大切な事は、適切なコミュニケーションである。
「お互いの間は何の偽りもない関係を持とう」というのは、気持ちのいい考えだ。でも、互いに正直であるという事は、それを受け取った人の正直な感情をも受け入れるということだ。内容によっては、どちらかがグッとこらえる事なしに事態が収拾しないことも多いのではないか。それでも、一方的に正直であろうとするのは、単に「自分を受け止めて欲しい」というメッセージに成り下がってしまう危険性がある。だから人との関係においては、正直である以上に、誠実さが求められるのだ。自分自身で限度を認め、それを表現し、それに忠実である事。これらを皆、愛をもって行なっていくのだ。

このブログで行おうとしている「自己対峙」は、実際には神と交わる事によってのみ可能になると思う。神の前には必然的に正直でなければならないのだ。
人を意識して書き始めると、適切な自己対峙が出来なくなってしまう。このブログは「自分自身の自己対峙のプロセスを人前にさらす」事が益になり得るという希望をもってやっている。だから、多少は人をも意識している。でもその意識の仕方は、他の人に誠実であろうとすること。そういう訓練でもあると思う。


と、長々と書いたが、要は「しばらくブログ更新できなくてごめんなさい」ってことです!
別に書く事が負担なんじゃなくて、神の前に正直に出れてなかったのかなぁと思います。実際には、ここ一週間ぐらい、本当に体調が悪くて、目眩がしたり、体中がダルかったりしてました。やるべき仕事があって、休み休みはやっているけど、久しぶりに抱えた目に見えるストレスで、あっさりやられちゃってるだけなのかも知れない。でも、とにかく、あまり正常な状態ではなかったという事だけは確かだと思います。

とりあえず、今日医者行ったら、前回の血液検査の結果からビタミンB12が少ないので、注射して薬を出しましょうということになった。ビタミンの注射なんて、気付け薬みたいなものですが、結構体は楽になった気がします。
おまけに、母も「そんなことじゃないかと思って」と言っておいしい肉を買ってきてくれた。これだけおいしい料理をバランスよく気を使って母が準備してくれているのだから、栄養失調(去年なった)とか、ビタミン不足というのはちょっとおかしい。
やっぱり、腸の働きの方なのかな。やっぱり吸収が悪いのかな・・・。なんて考えるが、とりあえず、体力が回復してくれるのを待つのみ。

主よ。本当に情けないです。
体力も精神力も、ボクがこうであって欲しいと願うレベルにはほど遠い気がします。
それなのに、あなたの前に強がってみたり、人に甘えてみたり。
どうか、私の存在そのものが、あなたの生きた交わりの中に歩む事を
心から喜ぶ事が出来るようにさせてください。

2006/03/14

ゆっくり

昨日は、夜8時半には寝てしまった。
朝には一度起きたものの、聖書を読んだらまたグーグー。
疲れていたのかな?

今日は話し合いのために、教会に行った後は、部屋の片付けをした。

私はあまり片付けが上手ではない。
でも、片付けると、気持ちがすっきりするし、体の運動にもなる。
そして、何をやるにもはかどる。
手をつけるのがおっくうなのだが、一度片付けだすと、それなりのこだわりもあったりする。

すっきりとした机に、あわせてデスクチェアを買ってきた。
きもちいい。


仕事が忙しすぎるときには、部屋を過ごしやすく整えようなんて、
あんまり考える余裕もなかった。だいたい、部屋で過ごす時間が少なすぎるんだもの。
今、家で過ごす時間の過ごし方に目が向けられてきた。
これは、きっとボク自身の回復にとって、いいことだ。


何気ない毎日が、さらに祝福されていきますように。
何事もゆっくり、しっかりと行なっていけますように。
主よ、期待します。

2006/03/10

「私のために祈ってください」

兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、
また、御霊の愛によって切にお願いします。
私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。
私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、
またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。
(ローマ15:30,31)


「私のために祈ってください」
・・・これは、クリスチャンの間でよく交わされることばの一つだ。
昨日の祈祷会では、祈りの必要を他の人に執り成してもらえるようにと、
ひたすらすがる真剣さについて語られた。
パウロは、あちらこちらの箇所でその事を訴えている。


この箇所で、パウロはいったい何を語っているのだろうか。
誰に対して、何について、祈ってほしいと言っているのだろう。
パウロは、まだローマには一度も行ったことない。
しかし、キリストのあふれる祝福を携えてローマに行くつもりだと彼らに告白している。
パウロは、マケドニアで集めた献金を持ってエルサレムに向かう最中だったのだ。

そこで改めて見てみる。
「祈ってください」という祈りの依頼は、ローマの信者に向けてなされている。
「祈ってください」という祈りの内容は、
 -「ユダヤにいる不信仰な人々から救い出されること。」
 -「エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなること。」
 -「そうして、あなたがたの所へ行き、ともにいこいを得ることができるように。」

「ユダヤにいる人々」や「聖徒たち」というのは、というのはクリスチャンのことだろう。パウロは、エルサレムのクリスチャンたちに自分が受け入れられない可能性があることを危惧していた。パウロが「福音」だと思っているもの、「信仰」だと思っているものが、彼らと共有できるか、また、パウロの異邦人への奉仕を正しく受け入れてもらうことができるか。
・・・そんなことを、まだ見た事もないクリスチャンになりたてのローマの人々に祈りのリクエストとして出している。

またそんな時、パウロのまわりの仲間たちは、エルサレムで大変な苦労をすることが前もって分かっていたので、パウロにエルサレムに上らぬようにと、しきりに忠告している。

しかし、パウロこれに対しては、
「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。(使徒21:12)

パウロが死ぬことさえも覚悟していたのは、愛する先輩たちとの信仰上の対決だった。
自分に与えられた確信を、正しい態度で、正しい方法で向き合い続けること。
ここにこそ、さらなる祈りのサポートが必要なのだ。

教会の歴史を変えるのは大きなチャレンジだ。
しかし、イエスはなすべきことに取り組んだ。
パウロもイエスにならって、変革が拡大するように取り組んだ。

では私は?
「皆さん、私のために祈ってください」
私は本当に弱いものです。
確信を投げ捨てず、正しい態度で、正しい方法で、
向き合い続けていくことができますように。
そして、主の栄光だけが輝きますように。

2006/03/07

霊的で世的な弟子として

「私は世的ではないかも知れないけど、肉的だと思う」
・・・これは、しばらく前にボク自身を見つめつつ口にしたことのあるセリフだ。

ここでの漠然とした定義はこんな感じである。
「世的」というのは、世の人のように行動し、世の人ののように考えること。
「肉的」というのは、神ではなく人の思いで行動したり、考えたりすること。

「世的」の反対にあるのは「宗教的」
「肉的」の反対にあるのは「霊的」


そこで便宜上、人々を以下の4つのタイプのグループに分類していみたい。
A.肉的で、世的
B.霊的で、世的
C.霊的で、宗教的
D.肉的で、宗教的

          霊的
           ↑
           |
      B    |   C
           |
世的<----------> 宗教的
           |
      A    |   D
           |
           ↓
          肉的


多くの人が、「霊的」であることと「宗教的」である事を履き違えている。
神に従って歩んでいきたい、という純粋な思いは、いつしか
単なる宗教的形式主義的なところに変質し、落ち着いていってしまう。

多くの人は、まず【肉的・世的】な生活から始まる。
しかし、宗教に助けを求めたり、良い行ないで解決しようとすると、
【肉的・宗教的】になっていく。

しかし、ある人たちは、本物の福音と出会い、信仰を持つようになる。
すると【霊的・世的】人たちが誕生する。

ところが、そういう人たちを放っておけないのが、【霊的・宗教的】な人々。
彼らは、【霊的・世的】な赤ちゃんクリスチャンを、
何とかして【霊的・宗教的】な生活へと向かわせようとする。
もちろん、成熟を目指すために生活が改善していくための取り組みは必要だろう。
しかし、行ないが「宗教的」になり始めると、
それは硬直化してしまい、結局肉的なものへと変質していきやすい。
つまり、【肉的・宗教的】なクリスチャンになってしまうのだ。
これでは、元も子もない。



イエスは、私たちを「地の塩、世の光」と言われた。

日本にはクリスチャンが1%未満しかいないと言う。
もし、99%の魂に本気で届いて行こうとするなら、
私たちは、【霊的・世的】なクリスチャンとなるべきではないか。

世的であることによって、肉的な生活への誘惑も強くなるかもしれない。
または逆に宗教的になることへの誘惑もあるかもしれない。

でも、イエスはそこに立ち続けたのではないだろうか?


簡単ではないかもしれない。
でも、イエスの弟子として、主の託された最も大切なメッセージを
握り締め続けていきたい。

2006/03/06

ここだけの話?

iMac買ったんです。
インテル入ってるやつ。
とにかく、かっこいい!っていうか、かわいい!
とってもとってもうれしいです。


ここから先は、たぶん、まったくつまらない話です。
個人的にこの分野を、ちょっと振り返ってみたくなっただけですので・・・。



実は、私けっこう昔からコンピュータなるものを触っていました。

一番始めにパソコンを始めたのが小学5年生の時。NECのPC-8001mkII という、ちょっと微妙な位置づけのパソコンです。当時は、外部記憶装置がカセットテープで、300bpsで保存。「コンピュータは何でもできるんだ!」って思ってたんだけど、当時のパソコンは、実質なにもできませんでした。

でも、プログラムを作ったりするのが好きで、BASICのみならず、マシン語にも手を出し、ノートにアセンブリ言語でプログラミングしたものを、手コンパイルしたりして遊んでいました。自分で「お絵描きツール」のようなものを作り、当時はやっていたアドベンチャーゲームを真似たものを作って、中学校の夏の自由研究として提出したりしていました。今、考えるとすごいねー。

それから、高校受験期にはまったくパソコンを触らず、そのまま高校時代はコンピュータとは無縁の生活を送っていました。
(その間、MS-DOS搭載のパソコンが、ガンガン発展していったようです。)

再び、コンピュータに触るようになったのは、大学に入ってから。キャンパスのネットワーク環境が充実していて、UNIXを日常的に使い、電子メールを多用するようになりました。また、ラップトップパソコン(確か、CPUがintel386搭載)を購入。しかし、当時ハードディスクすらついていない、DOSパソコン(DOS/Vですらない)は、僕にとってはほとんど役にたたないものでした。
大学4年生のとき、Mosaicなるソフト(Netscapeの前身)が現れていました。また、大学にはMacもあったので、ちょろちょろと触ってはいました。

大学を卒業し、入社した会社では、まず営業をやりました。
ちょうどその年1995年。Windows95搭載のノートパソコン(DECのかなり薄いやつ)を営業の面々にも一人一台ずつ支給され、WordやExcelをガシガシ使うようになりました。2年目からは開発にまわり、そこでは何とNEXTSTEPを使って、Objective-Cでコーディングとかをしていました。この部署は、基本OSがNEXTSTEPだったし、スピードは速くなかったけど、グラフィックはきれいだし、堅牢に動いている感じの安心感があってよかったです。

このころ、個人的にMacを購入。(確か、Performa5320)これは最悪でしたね。付属のソフトが結構あったのに、なんとこれが動かない!買ったままのMacでは、メモリが足りずに、付属ソフトすらろくに動かなかったんです。フリーズしまくるし・・・。よく知らなかったけど、ちょうどこの頃のアップルは最悪状態だったようです。

海外への出張をきっかけに、Sony VAIO505を買いました。こいつは、かなりいい出来でした。片道2時間かかる通勤中、電車の中でけっこう仕事していました。

その後、AppleがNEXT社を買収。MacOSの次期版のコアとして、OPENSTEPが使われるらしいということで、かなり期待はしていました。

そして、会社を辞める前に、小スペースPCをべアボーンのキットをベースに組み立てて、ずいぶん安くなった15インチの液晶ディスプレイ(でも10万はしたな)を購入。しばらくそれを使っていました。


数年前、Dynabook E8を購入。これが現在にいたるまで、私のメインのマシンです。

で、ここへ来て、iMacがたまらなく欲しくなり、分割払いで購入です。
(はじめての分割払いですよ。)



できれば、仕事と家との雰囲気を変えたかったのと、
音楽を中心に、もっとアーティスティックな生活にしたいと思ったから。
徐々に、いろいろ制作環境を整えられたらいいなと思っています。



・・・結構長くなってしまった。


今回のiMacは、今まで触ったことのあるものの中で、
一番使えそうな雰囲気です。
さーて、どうなるかな。

時々、またMacネタが出てくるかもしれません。
Macユーザーの方々、いろいろ教えてくださいね。
今後ともよろしくお願いします!

2006/03/04

一喜一憂

今週は緊急連絡のFAXが飛び交った。

1.エスペランサ緊急事態のため、連鎖祈祷期間延長のお知らせ。
2.エスペランサ試合&テレビ取材のため、大応援団結成の願い。
3.上記応援団を後押しするため、予定していた奉仕者祝福礼拝の中止。

様々な緊急連絡事項を、教会員全員に周知するのは難しいので
私たちの所では、FAXを持っている方のところに、「InterFax」という
メールからFAXへ同時送信できるものを使って配布している。
いろいろ抜けもあり、もっといい方法もあるかもしれないが、
事務の立場としては、現状ではとても助かっている。

エスペランサ」というのは、私たちの教会から始まったサッカースクールの働き。
素晴らしい働きだが、前進すればするほど様々な壁にぶち当たる。
まるで、出エジプト前のモーセに立ちはだかるパロのようだ。
今回は、特別に祈っている中でもあり、心を一つにしてエスペランサに集中しよう
ということになった。しかし、予定していたものをキャンセルするのは、なかなか難しい。
でも、今回はそれを行なう事ができたのだ。


私たちは、大胆に今までのやり方を変化させる大きなチャレンジの時に来ている。
安息日のために人がいるのではなく、人のために安息日があるのだ・・・。


試合の会場から、メールや携帯電話で、随時報告が送られてくる。
事務室に残っている者達への配慮だ。
そこでも、各試合の様子を聞きながら、一喜一憂する。

結局、エスペランサの試合は、残念ながら予選敗退だったそうな。
でも、価値ある時だったと思う。
具体的に、観戦に行く事ができた人たちは、
よりエスペランサへの祈りが強くなることだろう。
エスペランサにとっても励ましになっただろうな。


何とかして幾人かでも救われるために、
何よりも私たち自身の自己変革が求められる。

用いられるテクノロジーは用いつつ、
絶えずパラダイムシフトを繰り返しつつ、
神のみこころの実践とは何かをいつも祈り求めつつ、
この身を主に捧げていきたい。

2006/03/02

父と母

父と母がいて、ボクがいる。
当たり前だけど、あらためて感謝。

母は心から父を尊敬して第一に考えていたと思う。
母は心からそれを喜んでいた。
愛情にあふれた、あたたかい家庭だった。

もちろん、子ども達にも十分に愛情は注がれていた。
でも、子ども達にエネルギーが向き過ぎなかったのが、良かったのだと思う。
それが、うちの家族を成り立たせる大きな要因だった。


今日、祈祷会で母が証しをした。
それを聞きながら、父の事を思い出し、あらためて感謝した。


思い出して、ちょっと昔の文章を引っ張り出してきてみました。
3年前、父が召天した時に書いたものです。


父が残してくれたことば
~ 父・佐藤寛二闘病生活の中で ~

2003年2月9日(日) 前夜式
2003年2月10日(月) 召天式


2003年2月7日(金)午前10時8分、父は、平安のうちに地上での生涯に幕を閉じました。もちろん寂しさはあります。でも私たち家族の心には、父が最後の数ヶ月を通して見せてくれた歩みを通して、何かとってもすがすがしいものが残っているのです。

母は、この4ヶ月の間、自らが体調を崩した2、3日を除いて、毎日、片道一時間かかる病院まで出かけ、本当によく看病しました。母と父が病室で共に過ごし、毎日仲むつまじくしている姿は、看護婦さんたちの間でもうわさになる程でした。

兄は、父が目を細めて喜ぶ、緋奈乃ちゃん(兄の娘)を連れて行って励ましてやろうと、忙しい仕事をやりくりして出来る限り病院にかけつけてくれました。姉は、父の看病のため、そして母親を支えるために、長期の休暇を申請して仕事を休み、いろいろな形で支えとなってくれました。そして私も、教会の方々の配慮で仕事を早めに終えることができ、面会時間終了間際まで病室にいる母を迎えに行くことができました。

また、親族や友人、教会の方々など、多くの方々が励ましてくださり、父も家族も支えられることが出来ました。

帰りがけには、いつも祈りの時を持ちました。ある時は母が、ある時は父が祈ってくれました。寡黙な父でしたが、病の中で一言一言、噛みしめるように祈ったその祈りの言葉は、いつも希望にあふれ、何か光がさしこむかのようなものでした。そして、そのことばを通して、父が病の中でどのように神と深く出会い、平安を得、死と病に打ち勝っていったのかを垣間見ることが出来ました。
走り書きを集めたものですが、その一部を紹介させていただきます。


  • 長い看病の中で、母が腰を痛めた時。父が祈ってくれた。「・・・愛する、天のお父様、こうして毎日毎日来てくれるママのために・・・。」そういって、言葉が続かなくなる。短い一つ一つの言葉に、母への愛情と心が豊かに注ぎだされていた。
  • 帰りがけに、父の側から「祈ってあげようか」と初めて声をかけてくれた。「うん、じゃあ祈って」と母が頼むと祈りだした。「愛する天のお父様、こうして今日も一日無事に過ごせたことを心から感謝します。このように、ケンジと、ママと、一緒に過ごすことができるひと時をありがとうございます。明日も、あさっても、このような日々が続きますように・・・。」母は感極まって涙を流した。「パパが、いいお祈りするから・・・」満足げな父の顔は、とても輝いて見えた。
  • 「昨日のパパの祈りが、とっても良かったから、今日もパパお祈りして。」と母が言うと、「・・・まーた、おだてちゃって。」とニヤリとする父。「パパが一日の終わりに、面白いこと言ってくれるから、疲れも吹き飛ぶね。」と母。父のユーモアや、茶目っ気。父の温かさが伝わってくる。
  • ある土曜日、父に話し掛ける母。「明日は、礼拝だからね。パパも神様のこと思って祈ってね。主の祈りは覚えてる? 天にまします我らの父よ、願わくは、御名をあがめさせたまえ・・・って覚えてる?」ウン、ウン、とニコニコしながらうなずく父。今日も平安な一日。
  • 「パパ、何か持ってきて欲しいものはある?」と母が聞くと。おもむろに父はひとこと、こう言った。「お祈り。」
  • 病気の進行もかなり進んだころ。突然、やさしい声で父がこのように言った。「もう、天のお父さんに任せるしかないね。」父の顔を見ると、すがすがしく微笑んでいるようだった。
  • 痛み止めの薬が強くなっていったころ。私たちは、少し元気になったら、家に帰ろうねと父を励ましていた。父にお祈りをお願いしたら、このように祈った。「愛する天のお父様・・・、長い・・・病院生活でしたが・・・、明日で最後となります・・・。どうぞ、予定通りに・・・事が運びますように。ケンジや、ヒロミや、ママも・・・、今までありがとうございました・・・。」突然の言葉に、ドキッとし、母も姉も涙を流しながら、「何言ってるのパパ。まだ、明日は帰れないのよ。」と、語りかけたが、父はきょとんとしていた。・・・痛み止めが、効きすぎていたのかも知れない。でも、とにかく、そこに集まっていた一人一人の名前を呼んで、ありがとうと言ってくれた父。うれしかった。
  • 母も私も病院に行くことができなかったある日。姉が一日父の側にいてくれた。帰り際に、「パパ、今日はママも賢ちゃんもいないから、パパお祈りしてね」と姉が言うと、父は「今日はひろみがお祈りして」と言った。姉は慣れない事で戸惑ったけれど、「じゃあ、特別サービスで、今日だけね。」と言って祈りだしたとのこと。その祈りを終えた時、父親は、パチパチと手を叩き、「じょうず~!明日もヨロシク頼むよ」と姉に言って励ましてくれた、とのこと。
  • 兄が緋奈乃ちゃんを連れて行くと、父はいつも嬉しそうにして、元気が湧いてくるようだった。緋奈乃ちゃんが生まれたのは、父と母が洗礼を受ける2ヶ月ほど前のこと。実家の港南台の病院で生まれ、それから3ヶ月近く、緋奈乃ちゃんは港南台で父や母とも一緒に過ごした。そのせいか、緋奈乃ちゃんは、よく父になつく。「ヒナちゃん、じーじにヨシヨシしてあげて」と言うと、その小さい手で父の手や頭を一生懸命さすってくれた。まさに天使のような存在だった。兄も、緋奈乃ちゃんを連れて行くことが最高の親孝行だと思って、父を励まし続けてくれた。
    ある日の父の祈り。「愛する天のお父様。今日も、みんな一同に会し、集まれたことを感謝します。明日は、もっと賑やかになりますように。」寡黙な父ではあるが、賑やかにみんなが集まってくれるのは、やっぱり嬉しいんだなと思った。
  • 正月に3日間家に帰ることができた。この外泊に向けて、年末父は驚くほどの回復を見せた。ほとんど寝たきりであったのに、車椅子に乗せようとする時、「大丈夫」と言いながら、なんと自分一人の力で立ち上がって車椅子に乗ろうとしていた。でも逆に、思ったよりもずっと力の入らない自分の足に驚いた様子で、「おかしいなあ」と言いながら、ベッドに座った。父の気力の回復に、ただただ、あっけに取られるばかり。家についた父は、食べることもできず、ただ、寝ているだけではあったが、家族みんなそろって本当に賑やかに過ごす事ができた、最高の正月だった。あふれる恵みに感謝。
  • 母の誕生日に。母の祈りに続けてこう付け足したとのこと。「パパの分まで、長生きしてください・・・。分からない事があったら、天のお父さんに聞いてください・・・。」それを聞いて母は、「どうやって、パパの分まで生きるの? パパ。重ねることなんて出来ないじゃない。」と、言ってやったんだとのこと。父には、父が癌であるとは誰もはっきりと言わなかった。しかし父は、自分の病気が治る見込みのないものだということを、一人どこかの時点で悟っていたのだと思う。しかし、その事でパニックになったり、人を責めるようなことは一切なかった。むしろ心が定まり、天を見据え、病床で過ごす残りの生涯を、精一杯大切に生きているように思えた。母への言葉は、母を思いやる父からの、精一杯の誕生日プレゼントだったのだとも思う。
  • ある時、父は、母と姉を見比べて、「どっちがどっちか、分かんなくなっちゃったよ。」と言って、ニヤリと微笑んだとのこと。一方母は、時々「ウン、ウン」という返事をするのがやっとの時に、父に顔を近づけて、「パパ!私きれいでしょ!」と言って、父に「ウン」と言わせて、「あー、よかった!」とおどけて見せたりしていた。・・・この数ヶ月間は、病との闘いだった。でも、この数ヶ月間は、父にとっても母にとっても、ようやく二人っきりでずーっと一緒に過ごすことができたもっとも幸せなときだったのではないかとも思う。
  • 2月に入って。父は母の祈りに続けて一言だけこう祈った。「主イエス・キリストの尊い御名をあがめます。ありがとうございます。」
・・・ひたすら感謝し、だんだんと穏やかに、だんだんと輝いていくその父の姿を見続け、母はこのよう言いました。「本当に、病が進むにつれて、不思議とだんだんすがすがしくなっていくんだね。信仰が本物になっていくって、こういう事なのかしら・・・。」

 父は、痛くても苦しくても、わめき散らすような事はしませんでした。「痛い?」と聞くと、よく「まあ、痛いと言われれば痛い」とか、「まあ、こんなもんでしょう」とか、言っていました。でも医師に言わせると「痛くないはずはない。佐藤さんは我慢していますよ。」とのことでした。そして、我慢強い父らしく、最後の最後まで、そのようにして静かに息を引き取っていきました。

 父が息を引き取る前夜、父の姿を見ながら、私の心には聖書の中のある言葉が浮かんでいました。
「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」(ヤコブ1:12)

 「父は耐え抜いて良しと認められたんだなあ。父には、もう素晴らしい『いのちの冠』が用意されているんだ。」と心から確信することが出来ました。

 良かったね、パパ。今まで良いものを残してくれてありがとう。がんばってくれてありがとう。お疲れ様。今は、天国で、いのちの冠が与えられているんだね。天国でもみんなを見守って、みんなのために祈っていてね。本当にありがとう。


病院に入院した日、召天の日。その間のうるわしい会話、父のことばでした。
子供一同