2006/03/10

「私のために祈ってください」

兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、
また、御霊の愛によって切にお願いします。
私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。
私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、
またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。
(ローマ15:30,31)


「私のために祈ってください」
・・・これは、クリスチャンの間でよく交わされることばの一つだ。
昨日の祈祷会では、祈りの必要を他の人に執り成してもらえるようにと、
ひたすらすがる真剣さについて語られた。
パウロは、あちらこちらの箇所でその事を訴えている。


この箇所で、パウロはいったい何を語っているのだろうか。
誰に対して、何について、祈ってほしいと言っているのだろう。
パウロは、まだローマには一度も行ったことない。
しかし、キリストのあふれる祝福を携えてローマに行くつもりだと彼らに告白している。
パウロは、マケドニアで集めた献金を持ってエルサレムに向かう最中だったのだ。

そこで改めて見てみる。
「祈ってください」という祈りの依頼は、ローマの信者に向けてなされている。
「祈ってください」という祈りの内容は、
 -「ユダヤにいる不信仰な人々から救い出されること。」
 -「エルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなること。」
 -「そうして、あなたがたの所へ行き、ともにいこいを得ることができるように。」

「ユダヤにいる人々」や「聖徒たち」というのは、というのはクリスチャンのことだろう。パウロは、エルサレムのクリスチャンたちに自分が受け入れられない可能性があることを危惧していた。パウロが「福音」だと思っているもの、「信仰」だと思っているものが、彼らと共有できるか、また、パウロの異邦人への奉仕を正しく受け入れてもらうことができるか。
・・・そんなことを、まだ見た事もないクリスチャンになりたてのローマの人々に祈りのリクエストとして出している。

またそんな時、パウロのまわりの仲間たちは、エルサレムで大変な苦労をすることが前もって分かっていたので、パウロにエルサレムに上らぬようにと、しきりに忠告している。

しかし、パウロこれに対しては、
「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。(使徒21:12)

パウロが死ぬことさえも覚悟していたのは、愛する先輩たちとの信仰上の対決だった。
自分に与えられた確信を、正しい態度で、正しい方法で向き合い続けること。
ここにこそ、さらなる祈りのサポートが必要なのだ。

教会の歴史を変えるのは大きなチャレンジだ。
しかし、イエスはなすべきことに取り組んだ。
パウロもイエスにならって、変革が拡大するように取り組んだ。

では私は?
「皆さん、私のために祈ってください」
私は本当に弱いものです。
確信を投げ捨てず、正しい態度で、正しい方法で、
向き合い続けていくことができますように。
そして、主の栄光だけが輝きますように。

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