帰ってきました!
どこに行ってたかって?
うーん。どっか行っちゃってたんです・・・。
去年体調を崩して以来、久々に仕事をかかえこんでもがいているような状態になりました。
でも、個人的には昨日で一段落。
そのとたんに肉体的にも精神的にもずいぶんとスッキリしました。
ストレスを抱え込んでしまう傾向は変わってないなー、と思いながら、
それでも少しは変わったかな?と思う点を前向きにリストアップしてみよう。
1. 思うように行かない時でも、人格が否定されたような感覚にまではならない。
2. 必要以上に成果を良く見せようと思わない。
3. なんだかんだ言いながらも、それなりに健全に息抜きできるようになっている。
4. 孤独だとは思わない。
5. 他の人を責めようとは思わない。
6. 回復が早い。
7. 立ち位置がずれそうになっても、ちゃんと戻れる。
8. 自分の力量をしっかりと意識しながら作業できる。
9. このリストにあげてるような事を自覚的に意識できるようになっている。
うーん、素晴らしい。(笑)
この数ヶ月の訓練は無駄ではありませんでしたな。
さて、この期間何をしていたのでしょう?
これもちょっとリストアップします。
1. 2006年版「教会紹介」の冊子の作成。
2. ハーベストスクール「体験スクール」実施。
3. 近隣の教会での礼拝メッセージ奉仕。
後は日々のもろもろの作業です。
この中でメインは「教会紹介」の冊子づくりでした。
今度の日曜日(4月2日)が教会の「奉献記念礼拝」なので、
そこに配れるよう、ギリギリのギリギリで昨日原稿を入稿しました。
かなりイッパイイッパイになりながらも、恵みの時でした。
その中から、一カ所だけ図を引用します。
私が普段教会の働きに関わりながら、いろんな動きを見ながら、
この働きをどうやったらより良く理解できるだろう?
適切に関われるだろう?と思って祈っている中で示された図です。
教会の働きで、私たちが重点をおいているのは次の3つ。
1. 礼拝
2. ファミリー
3. 奉仕・宣教
そして、その働きを支えている、建て上げの働きは以下の3つ。
1. 祈り
2. 教育(みことば)
3. 実務
この図の特徴は、目に見える働きが広がれば広がるほど、
その中心で苦しみながら、祈りとみことばと事務的な働きに踏みとどまる人が必要であり、
それがあってこそ働きが前進するというイメージを視覚化できたこと。
それぞれの働きを広げるほど、真ん中の部分は「引き裂かれるような」痛みを持つのです。
そして、その中心にはイエス様の十字架。
何よりも、イエス様がこの位置に立ってくださっているからこそ、
私たちは働きを進める事ができるのです。
十字架で引き裂かれたイエス様のからだ。
そのからだと血潮を覚える聖餐を覚えないではいられません。
そして、その痛みを伴う部分に、実務(事務)の働きを組み込む事ができたこと。
おそらくほとんどの教会の牧師先生たちもそうでしょうが、実際に牧会していく時には、
この事務的な働きの占める割合が本当に大きいと思います。
これは、自分が事務の働きに身を置く献身者として仕えさせてもらったが故の視点です。
苦しみつつもあえてそこに身を置ける人がどうしても必要だと思うのです。
そんなこんなで、どっか行っちゃってたけど、
とても収穫の多い期間でした。
お祈りで支えてくださった方々、ありがとうございます。
神様、ただいま!
1 件のコメント:
なるほど。それが例の印刷屋さんに待ったをかけていたやつですね!お疲れ様です。
神様ただいま!っていい響きですね!!
さて、私は今から一時間ほど寝ます…。
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