2005/10/31

主の晩餐(Lord's Supper)

聖餐式って、どうやりますか?
今日、ここOakwood Road Churchで行なわれた「主の晩餐」は、 今までの常識を覆すものだった。

本郷台でもいろいろ工夫していると思うけど、 僕も個人的に聖書で言われる「パンを裂く」という行為がどういうことなのか、 よく考えていました。

---たとえばこんな箇所---
ルカ24章、エマオ途上の弟子達は、イエスとともに食卓に着き、 イエスがパンを裂いた時、彼らの目は開かれ、イエスだと分かった。
使徒2章、3000人が弟子に加えられ、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、 交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。
マルコ14章、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、 祝福して後、これを裂き、彼らに与えた。
1コリント11章、いっしょに集まっても「主の晩餐」を食べるためではない、 と責められている。ひとりひとりが吟味しなさい。
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今日の集会は、夕方5時に始まった。
それぞれが食事を持ち寄ってくるいわゆる「ポットラック」スタイル。
会堂には25くらいの円テーブル。
その周りにそれぞれ座って、数曲讃美する。
牧師であるJeff先生がこの集まりの意味を説明する。
そして、各テーブル毎に「パンを裂き」一緒に頂く。
その後それぞれの持ち寄った食事を食べ、「家族の家族」としての
教会のコミュニティーの交わりを深める。
ある程度の時間が過ぎた所で、証しの時間がある。
決められた人の証しの後は、誰もが自由に証ししたり、祈ったりする。
最後に、ぶどう液を一緒にいただく。
(通常はこの後にも讃美をする)

・・・だいたいこんな感じ。

教会が、家族の家族であるということを感じる事が出来るようにしたい、
との願いから、このようなスタイルが生まれてきたのだろう。 とても「自然な家族の交わり」が主によって大切にされていたことがとても伝わってくる。形式的な聖餐式より、ずっといいと思った。

そのまま真似て導入することは出来ないまでも、
主と使徒たちの教えを守りつつ、私達のコンテクストでどのようにするのが
最善なのか、引き続き考えていきたいと思った。

2005/10/30

Iowa State Universityを散歩

Amesは大学の街だ。
5万人ほどの人口で、2万5千人以上はこの大学の学生なのだそうだ。
土曜日の今日は、ゆっくりと大学敷地内を散歩した。


広いキャンパス。美しい芝生。
本郷台で、サッカーグラウンドを作るためのスペースを探すだけで
一苦労している事を考えると、まったく羨ましい限り。
そして、家族を大事にして休日をゆっくりと過ごす。
大切な価値観を継承していくために、良い環境が整っていると思う。

もうすぐハロウィーン。
家々の装飾もそんな雰囲気になってきた。

2005/10/29

Chicago Style Pizza

ここRoush家では、金曜日はピザの日!なのだそうだ。

一緒にホームステイしている伊藤先生が、
「シカゴスタイルのピザ」を友人に勧められたと言っていたが、
ToddとMoniqueによると、なかなかこの辺りでは、
本当にシカゴスタイルのピザは見つけられないとの事だった。

でも、今日はじめて行ったというこの店では、本物のシカゴピザがあった!

Isn't that cute? ピザの向こうに写っているのはJade.

アメリカ~ンな感じでいいですね。


C-BTE5日目: パラダイムシ~フト!again

日を追うごとに、「これこそ今、私達の教会に必要なものだ!」という確信が強まっている。
ああ、ここに来れて本当に良かった!

と同時に、恐ろしいほど重要な責務を負っていることも思う。
主よ、どうかここで示されている事を、正しく取り扱うことが出来るように、
知恵を与えてください・・・!


今日のディスカッションは、こんな感じ。

1.「First Principles」が神学教育の第一段階であることの確信
2.パウロ―テモテのモデルについて
3.「Doing Theology in Culture」が実際に私達のなすべきことである。


週末だし、もう疲れてしまったので、今日はここまで!
明日は、少し休みつつ、すでに学んだことに思いをはせる事ができればいいなっ。

2005/10/28

C-BTE:4日目 パラダイムシフト!

ねむ~。
今日の宿題は33ページほどのアーティクルを読んでいくこと。
「たったの」これだけなのに、目を通すだけで結構時間かかるじゃん!

今日から別のグループに移った。
ミャンマー、バングラディシュ、ナイジェリアなどの人がいた。
昨日よりおとなしいディスカッション。
リードしてくれたSteveはとても分かりやすく話してくれた。


なかなか深い内容をはなせたんだけど。
だめだ。頭がまわる~まわる~
今日はおしまい!!

2005/10/27

C-BTE3日目: First Principlesの冊子を使ってみる

ふぅっ。つ・か・れ・た・・・。
ようやく明日のための課題を読み終わった。
明日はレクチャー中心だと思うけど、今日の話では「ちゃんと準備してくる」という事も
訓練されなければならない、とのことだったのでぇ。
自らを省みてみると、今まで結構いい加減だったなぁ、と思う。


さてさて、今日はFirst Principlesのシリーズの一冊目を使って、
実際に学びの進め方を体験した。
(ちゃんと準備していかなかったけど)
やってみるとなかなか面白い。というか意義深い。
っていうか、とっても必要なことだ。そして今まで欠けていたことだ。


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<ソクラテス・メソッド技能セット>

1.「聖書神学(Biblical Theology)」を行なう。
2.適切に文献を読む。
3.ソクラテス・ディスカッションを導く。
4.深く・統合的に考える。
5.質的な評価
6.ライフディベロプメントのフォリオ・ポートフォリオを構築する。

<ディスカッションノート>
1.福音のメッセージ
2.バプテスマ
3.First Principles
4.心の一新
5.弟子としての生き方
6.生活を一新する

※いきなり、「ディスカッションのページ」からスタート。
 でも、その前のプロセスは、みんなおうちでやってくる前提なんだよね。
 ものの考え方、学習の仕方が根本的に違う。
※リーダーは、いくつかの質問を使いながら、
 みんながしっかりと考え、答えをおのずから見つけ出す事ができるように
 ダイアローグを中心にすすめる。自分では答えは言わない。
 とはいえ、導きたい方向性はもっており、権威をもって導く必要がある。


あわわわ。。。。おやすみっ

2005/10/26

Hotel Rwanda

映画を見た。
Oakwood Road Churchで上映したのだ。
夜7時、用意されたフリーのポップコーンを手に会堂へ。

ルワンダの虐殺時のストーリーで、
多くの人をホテルにかくまってそのいのちを助けた
ホテルのオーナーの話だった。
ちょっとストーリーの詳細について行けないところがあってけど、
まったく知らなかった事実に少しでも目を向けさせられるものだった。

明日、そのホテルのオーナーだった人が、
Iowa State Universityに来て講演会をするのだという。
行けるかな?
体調と相談してだな。

ちょっと疲れた。
顔がひどい。今までで一番ひどい。っていうか、痛い。

目に見えてひどいのはつらい。
早く直るといいんだけど・・・。

ねようっと。

C-BTE2日目: First Principlesを教えるにあたって

今日は、昨日とは打って変わってグループでのディスカッションが中心になった。

グループは15人ぐらい。
日本はすでにBILDとのパートナーシップがあるので、
「すでに知っている人グループ」になってしまった。
まったく初めてだったのは僕だけなのかなあ。
ナイジェリアやカンボジアの人たちの英語を聞き取るのが大変だったが、
次第に慣れてきた。

背後にある理念についてしっかり理解することが今日のトピックだったと思う。


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<ディスカッション・ノート>
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私たちは、「考える」という事を要求しない、空白を埋めるタイプの学びに慣れてしまっている。

パウロは、「使徒たちの言い伝え」を守ることを強調している。
(Ⅰテサロニケ4:1-2、Ⅱテサロニケ2:15、3:6など)
それが、「キリストと使徒の方法」と呼ばれるものだ。
キリストは、使徒たちに教えを託した。それは、知識を越えて彼らが実際に
生活で実践していくものだ。
それを表わすのに「ディダケー」というギリシア語が使われている。
「ディダケー」とは、「教え」という意味だが、実際に行なうものであり、
彼らのコミュニティーで受け継がれていくものだ。
今日は、出てこなかったが使徒の働き2章の最後で描写されている
教会の姿の中で言われている彼らが守っていた教えというのはこのことだろう。

では、教えの中心となるものは何か?
それは、聖書の中でリストになってはいない。
あるのは、パウロが書いた手紙である。
それは「キリストの教え」とも言えるのか?
そう、キリストが託したものだ。

そしてそれは単に個人が適用するものではなく、教会の形成に深く関わっている。

「組織神学」は、人が考えたカテゴリーでものをまとめる。
しかし、「聖書神学」は聖書を全体としてとらえ、
聖書そのものにカテゴライズさせるのだと言う。

「聖書的に考える」というスキルが必要。
そのためには、より深い学習プロセスが必要になる。
覚える、自分の言葉で言う、行なう、吟味する、組み合わせる、再構築する。
すでに知っていることと、新しく知ったことを組み合わせ、
どんな状況にも対応できるようになるためだ。
そして、自分自身で聖書の教えを再構築する。

First Principlesは、単に聖書全体をカバーするだけでなく、
その学習プロセスまで考えた方法。
BILDのリソースはその前提で作られたものなので、
そのような用い方をしないと、十分な効果が期待できない。
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2005/10/25

C-BTE1日目:カンファレンスの全体像

カンファレンス一日目。
みんな、しゃべるのが速いよぉ。
慣れない言葉もいっぱい出てきて、結構聞き流してしまっている。

でも、ようやく何がなされているのか、ということが見えてきた。

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Introductory Seminar
アウトライン
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◆セッション1:
Accelerating Church Planting Movements Worldwide by
Training Leaders in "the Way of Christ and His Apostles"
(「キリストと使徒の方法」でリーダーを訓練することで、
 世界中のチャーチプランティング・ムーブメントを加速させる。)

今、世界は劇的に変化しており、新しい世界観の構築が急務となっている。
キリストと使徒たちの方法に、革新的に立ち返る必要がある。
BILDとはフィロソフィー、カリキュラム、ネットワークである。

フィロソフィー:
1 パウロの宣教サイクル
(1)戦略的都市の伝道
(2)地域教会の確立
(3)忠実な者に委任する
2 ディダケー(教え)
3 パウロ―テモテ・モデル

教会が存続しないのはなぜか?
1 タイプ3のリーダーをふさわしく訓練するのに失敗
2 「固有、土着(indigenous)」という言葉の理解が不十分
3 「教会」の定義が不完全
4 使徒の教えに留まらない
5 神学校教育が、リーダーを育てるのに不十分


<考えたこと・疑問点・示されたことなど>
・本郷台で導入するためには、何を変えていかなければならないのだろう。
 どこが私たちの考えの中で障害となっている部分か?
・本郷台では実際に仕える者となることを重視して、多くの働きが生み出されている。
 しかしそのコアとなる「教会」に何か欠けているような気がする。
 「教育・牧会」を根本的に見直して変革していく必要があるように思う。
・MDCと一般信徒の教育のあり方の関係は?
・チャーチスクールの延長線上にC-BTEを置く事が出来るだろうか?
・聖書的に考え、成熟したリーダーを育てることのできるリーダーを育てるために、
 私が果たしていくべき役割はなんだろう。
・現在の教会のビジョン、取り組み、ミッション3000と、C-BTEとの関係、
 位置づけをしっかりと考え直す必要がある。
・時間の使い方、すでになされている働きとのバランス
・教会は「どの様な人を育て生み出したいのか」という明確なイメージを確立したい
・「アンテオケタイプの教会」とは?
  ・・・教会を生み出していく教会。


◆セッション2:
Curriculum for Type I and II Leaders
(タイプ1と2のリーダーのためのカリキュラム)

First Principles(基本原則)は、聖書的に考え理由付けができる能力を育てる。

<考えたこと・疑問点・示されたことなど>
・First Principlesとは、この世の幼稚な教えではなく、キリストの初歩の教えのこと。
 キリストと使徒によって教えられた信仰の基本。
・クリスチャン誰もが、これをマスターしないと、確信をもって神のみことばに聞き、
 それを行なっていく事ができない。
・すべてのものに初歩の教えがある。このことは、最近ギターの練習で左手の
 薬指と小指をトレーニングしながら考えていたことだった。
 苦痛がともない、楽ではない。でもやらないと次に進まない。
・考える事を教える教育
・本郷台で行なわれている様々なセミナー等との整合性、位置づけを考えてみたい。

・教育体系、ミニストリーの実践、牧会体制、事務体制、様々な外部向けの働き。
 本郷台キリスト教会の教会員が「成長する」というのはどのような道順をたどるのか。
 一人一人が、少なくとも自分自身でそのプランを立てる事が出来るような
 状態に導いていく必要があるのではないか。
・概念、フィロソフィーは分かった。しかしBILDの教材を用いていくことが、最善かどうかは
 吟味する必要もある。(基本的に英語であるということも含めて)
 もう少し教会で手を加えるべきところはないか?
・「日本語のテキスト」のためにはどうしたらいいか?


◆セッション3:
Curriculum for Type III and IV Leaders
(タイプ3と4のリーダーのためのカリキュラム)

<考えたこと・疑問点・示されたことなど>
・「リーダー」が育たなければ、教会は続いていかない。
 今まで自分は、育てる事というのをどのように捉え、行なおうとしていたのだろうか。
 堅い食物を食べる事が出来ない人に、精神論的に堅い食物をチャレンジさせている
 だけではなかったか?
・まだまだ自分の頭の中でも「献身者」が神学を学ぶものだと考えている古い人がいる。
・これらのリソースを学んでいくためには、まず自分が精通しなければならないのか。
 それとも基本的な方法、スキル、フィロソフィーをマスターすれば、自分でも行なえるのか?
 でも、少なくてもディスカッションのためには、他の人も必要だなあ。
・セルシステムの中でのリーダー訓練はどうだったっけ?
 LTGのようにリーダーがいらないというシステムをどう捕らえるか。
・本郷台のように、地域の問題に積極的に関わっていこうとする時、
 単なる知識を越えて、本当に聖書の言っていることの中で問題を解決していかなければならない。
・「聖書はこう言っている」という議論は、時に律法的であったり、
 自己正当化するためであったりする。気に入った箇所だけを繰り返し強調し、
 他のことにきちんと耳を傾けられない人もいる。
 そのために、確信をもってみことばを正しく扱うことに長けたものとなる必要がある。


◆セッション4:
Desiging a Certified, Nonformal, Indigenous, Level I-V Program
(1~5のリーダーのための、証明された、学校外の、固有のプログラムをデザインする)

<考えたこと・疑問点・示されたことなど>
・「修士」「博士」などの学位は、実際には必ずしもその人にその能力があることを保障しない。
・「よく訓練され学んだ人」を適切に評価できるシステム・基準が必要。
・本郷台で、本当に継続していく教会を建て上げていくための戦略は?
・BILDはこれから5年間、グローバルなリーダーシップトレーニングの働きにコミットするという。
 私達の教会も、彼らの取り組みから学ぶ事があるのではないか。
・頭の中ではいまだに古い神学校の概念を捨て切れていないのに、
 一方で「既存の神学校は役に立たない」という考え方が進入してきている。
 もう一度神学教育の必要性を明確に語る必要がある。

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2005/10/24

アイオワに来て

カンファレンスへの参加のためアイオワに来た。
アイオワ州なんて、来ることないと思ってたので、
どこにあるのかも、どんなところかも想像付かなかったけど、
とってもよさげな所で一安心。

もうほとんど収穫が終わっちゃったみたいだけど、
コーン畑が一面に広がる景色。

空港のあるデモイン(Des Moines)から、1時間ほど北上したところにあるエイムス(Ames)という町に、
今回の目的地であるBILD International、そしてOakwood Road Churchがある。
このAmesは50万人ほどの人口の町で、半数以上がアイオワ州立大学の学生とのこと。
その少し南側にあるHuxleyという町でホームステイしている。
ToddさんとMonikさんという若い夫婦の家。6ヶ月になるJadeという赤ちゃんがいて、
とても雰囲気のよい、素敵なところだ。

今回ここに来たのは、C-BTE(教会で行なう神学教育)を
本郷台キリスト教会に導入するために、訓練を受けることが目的だ。

今日は日曜日。
Oakwood Road Churchで行なわれている教会学校、および礼拝に参加した。
教会学校では、ちょうどToddさんが9th Grade、日本でいう中学3年生のクラスで
子供達に教えていた。大人と同じ教材で、すでに数週間行なってきた様子。
このスモールグループで行なう学びに受け答えする彼らに正直驚いた。
この学びの最も基本的な概念を、自分の言葉でしっかりと考えて言い表している。


礼拝もとても素敵で好感がもてた。
チャペルもワーシップの雰囲気も本郷台に似ている。
でも、楽器はギター2本、ベース、エレキドラム、キーボード、サックス。
それに讃美者が3人という感じ。
そして、メッセージも地域にインパクトをあたえる、ということをシリーズで語っている。
このメッセージは、今の本郷台の方向性にぴったりと一致する。

<メッセージノート>
アメリカの一般的な福音派の教会は、教会の外の世界のことを
(1)教会をおびやかす存在、または
(2)宣教する対象
としてしかみなしていない。

しかし私たちの良い態度とよい行ないを通して、
キリストを本当に反映するような市民として、教会は生きるべき。

私たちは、天に国籍を持つと同時に、
この世界でも国籍がある。いわば、「resident alien(永住する寄留者)」として過ごす。

聖書もたくさん開いた。
エレミヤ29:4-7
Ⅰペテロ1:1-2, 2:11-12, 2:13-17, 2:18-20, 3:8-9
ピリピ1:27-30, 2:1-5, 1:12-14, 4:1-3
Ⅰコリント6:1-4, 6:5-8
Ⅰテモテ3:7

自分自身の内側にしっかりとした、キリストの土台を築き上げつつ、
確信をもって主の働きを地域に対してしていく。


今回のカンファレンスで、私自身が何を学んでいくのか、
一つの方向性が見えてきたようで、とても楽しみになった。
うれしいなあ。

2005/10/16

葬儀の奉仕をしながら

イエスは仕えられるためではなく仕えるために来られた。
そのイエス様は「わたしは道であり、真理であり、いのちなのです。」
「わたしを信じるものは死んでも生きるのです。」と宣言された。

1コリントの8~14のあたりを示されて読んだ。

ここで言う異言・・・霊的な賜物全般を象徴していると言えるかな?
 ラッパのようにはっきりとした音を出さなければならない。
 ほかの人に理解できるように通訳が必要
 調和が大切
 愛がなければ、やかましいドラやシンバルと同じ。

自分の色が出すぎてはいけない。
自分の色を出さなくてもいけない。
無色透明になるためには、みんながいなくなるか、
みんなが完全に溶け合って行くこと。

私たちは無色透明で、キリストの栄光だけがそこに輝く。
そんなキリストのからだを建て上げたい。

2005/10/15

永遠のテーマ

さて、クリスチャンとして、
いや一人の人間として、もっとも追求すべき品性は何でしょうか?

この手の問いかけに対しての答えは、あらゆるレベルで
どのようにも答えることが出来るので、
完全な正解というのはないとは思うのですが、
あえて言うとするならば、「謙遜」の一言に尽きるのではないでしょうか。

「謙遜」って、シンプルで深いです。

今、私が感じているのは、「等身大の私を正しく見極めること」こそが、
謙遜なのではないか、ということです。
どうしても、私は何かをするときに、その事を通して自分の存在価値を
他の人に認めてもらいたいと思います。もしそうでなくても、少なくとも
自分自身で満足をしたいと思います。
そして、その様な評価が得られなかったときには、自分自身が否定されたかのように
感じてしまいます。

等身大の私、というのは、否定的な面も肯定的な面もひっくるめて、
すべてありのままの自分を認識するということです。
私はまったく取るに足らない、罪深い、救いようのない存在です。
と同時に、いのちがけで愛されるほどに、高価で尊い存在です。
自分では自分をどうすることも出来ません。
ただ、無条件で愛してくれる方に身をゆだねる以外ありません。

このテーマ、きっと何度も何度も繰り返す書くことになると思います。

2005/10/14

このブログで目指すもの

この地上で生を受けた以上、
誰でも有意義に過ごしたいと思いますよね?

私は17歳の時に、様々な悩みの中、模索の中、
いわゆるクリスチャンたちの信じる信仰に自分自身を
賭けてみようという決心をいたしました。
何も知らない私でしたが、そこに何かがあると思ったのです。

そして、早いものでもうすぐクリスチャンになるまでの日数を、
クリスチャンになってからの日数が追い越そうとしています。

そして、知れば知るほど、奥深いこの世界、
分からないながらにも選び取る事ができたことを感謝しています。
今までを振り返りつつ、これからの生涯の一瞬一瞬も、真摯に生きていくために、
この記述をまとめてみることにしました。


そういうわけですから、兄弟たち。
私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。
あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。
それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
この世と調子を合わせてはいけません。
いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、
神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、
心の一新によって自分を変えなさい。
(ローマ12:1-2)
「聖い、生きた供え物として自分自身をささげる」
これが、このブログのテーマです。

これはある種のモノローグではありますが、
一個人の自己対峙の記録が、ある時は、別の人にとって
最も必要な洞察を与えることもあり得るという事を踏まえて、
この記述は公開いたします。
時に、配慮の欠けた事があるかも知れませんが、
笑って受け流していただければ幸いです。

今もこの私を支え、導いてくださるお一人お一人に感謝しつつ。