2005/10/26

C-BTE2日目: First Principlesを教えるにあたって

今日は、昨日とは打って変わってグループでのディスカッションが中心になった。

グループは15人ぐらい。
日本はすでにBILDとのパートナーシップがあるので、
「すでに知っている人グループ」になってしまった。
まったく初めてだったのは僕だけなのかなあ。
ナイジェリアやカンボジアの人たちの英語を聞き取るのが大変だったが、
次第に慣れてきた。

背後にある理念についてしっかり理解することが今日のトピックだったと思う。


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<ディスカッション・ノート>
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私たちは、「考える」という事を要求しない、空白を埋めるタイプの学びに慣れてしまっている。

パウロは、「使徒たちの言い伝え」を守ることを強調している。
(Ⅰテサロニケ4:1-2、Ⅱテサロニケ2:15、3:6など)
それが、「キリストと使徒の方法」と呼ばれるものだ。
キリストは、使徒たちに教えを託した。それは、知識を越えて彼らが実際に
生活で実践していくものだ。
それを表わすのに「ディダケー」というギリシア語が使われている。
「ディダケー」とは、「教え」という意味だが、実際に行なうものであり、
彼らのコミュニティーで受け継がれていくものだ。
今日は、出てこなかったが使徒の働き2章の最後で描写されている
教会の姿の中で言われている彼らが守っていた教えというのはこのことだろう。

では、教えの中心となるものは何か?
それは、聖書の中でリストになってはいない。
あるのは、パウロが書いた手紙である。
それは「キリストの教え」とも言えるのか?
そう、キリストが託したものだ。

そしてそれは単に個人が適用するものではなく、教会の形成に深く関わっている。

「組織神学」は、人が考えたカテゴリーでものをまとめる。
しかし、「聖書神学」は聖書を全体としてとらえ、
聖書そのものにカテゴライズさせるのだと言う。

「聖書的に考える」というスキルが必要。
そのためには、より深い学習プロセスが必要になる。
覚える、自分の言葉で言う、行なう、吟味する、組み合わせる、再構築する。
すでに知っていることと、新しく知ったことを組み合わせ、
どんな状況にも対応できるようになるためだ。
そして、自分自身で聖書の教えを再構築する。

First Principlesは、単に聖書全体をカバーするだけでなく、
その学習プロセスまで考えた方法。
BILDのリソースはその前提で作られたものなので、
そのような用い方をしないと、十分な効果が期待できない。
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