2006/03/02

父と母

父と母がいて、ボクがいる。
当たり前だけど、あらためて感謝。

母は心から父を尊敬して第一に考えていたと思う。
母は心からそれを喜んでいた。
愛情にあふれた、あたたかい家庭だった。

もちろん、子ども達にも十分に愛情は注がれていた。
でも、子ども達にエネルギーが向き過ぎなかったのが、良かったのだと思う。
それが、うちの家族を成り立たせる大きな要因だった。


今日、祈祷会で母が証しをした。
それを聞きながら、父の事を思い出し、あらためて感謝した。


思い出して、ちょっと昔の文章を引っ張り出してきてみました。
3年前、父が召天した時に書いたものです。


父が残してくれたことば
~ 父・佐藤寛二闘病生活の中で ~

2003年2月9日(日) 前夜式
2003年2月10日(月) 召天式


2003年2月7日(金)午前10時8分、父は、平安のうちに地上での生涯に幕を閉じました。もちろん寂しさはあります。でも私たち家族の心には、父が最後の数ヶ月を通して見せてくれた歩みを通して、何かとってもすがすがしいものが残っているのです。

母は、この4ヶ月の間、自らが体調を崩した2、3日を除いて、毎日、片道一時間かかる病院まで出かけ、本当によく看病しました。母と父が病室で共に過ごし、毎日仲むつまじくしている姿は、看護婦さんたちの間でもうわさになる程でした。

兄は、父が目を細めて喜ぶ、緋奈乃ちゃん(兄の娘)を連れて行って励ましてやろうと、忙しい仕事をやりくりして出来る限り病院にかけつけてくれました。姉は、父の看病のため、そして母親を支えるために、長期の休暇を申請して仕事を休み、いろいろな形で支えとなってくれました。そして私も、教会の方々の配慮で仕事を早めに終えることができ、面会時間終了間際まで病室にいる母を迎えに行くことができました。

また、親族や友人、教会の方々など、多くの方々が励ましてくださり、父も家族も支えられることが出来ました。

帰りがけには、いつも祈りの時を持ちました。ある時は母が、ある時は父が祈ってくれました。寡黙な父でしたが、病の中で一言一言、噛みしめるように祈ったその祈りの言葉は、いつも希望にあふれ、何か光がさしこむかのようなものでした。そして、そのことばを通して、父が病の中でどのように神と深く出会い、平安を得、死と病に打ち勝っていったのかを垣間見ることが出来ました。
走り書きを集めたものですが、その一部を紹介させていただきます。


  • 長い看病の中で、母が腰を痛めた時。父が祈ってくれた。「・・・愛する、天のお父様、こうして毎日毎日来てくれるママのために・・・。」そういって、言葉が続かなくなる。短い一つ一つの言葉に、母への愛情と心が豊かに注ぎだされていた。
  • 帰りがけに、父の側から「祈ってあげようか」と初めて声をかけてくれた。「うん、じゃあ祈って」と母が頼むと祈りだした。「愛する天のお父様、こうして今日も一日無事に過ごせたことを心から感謝します。このように、ケンジと、ママと、一緒に過ごすことができるひと時をありがとうございます。明日も、あさっても、このような日々が続きますように・・・。」母は感極まって涙を流した。「パパが、いいお祈りするから・・・」満足げな父の顔は、とても輝いて見えた。
  • 「昨日のパパの祈りが、とっても良かったから、今日もパパお祈りして。」と母が言うと、「・・・まーた、おだてちゃって。」とニヤリとする父。「パパが一日の終わりに、面白いこと言ってくれるから、疲れも吹き飛ぶね。」と母。父のユーモアや、茶目っ気。父の温かさが伝わってくる。
  • ある土曜日、父に話し掛ける母。「明日は、礼拝だからね。パパも神様のこと思って祈ってね。主の祈りは覚えてる? 天にまします我らの父よ、願わくは、御名をあがめさせたまえ・・・って覚えてる?」ウン、ウン、とニコニコしながらうなずく父。今日も平安な一日。
  • 「パパ、何か持ってきて欲しいものはある?」と母が聞くと。おもむろに父はひとこと、こう言った。「お祈り。」
  • 病気の進行もかなり進んだころ。突然、やさしい声で父がこのように言った。「もう、天のお父さんに任せるしかないね。」父の顔を見ると、すがすがしく微笑んでいるようだった。
  • 痛み止めの薬が強くなっていったころ。私たちは、少し元気になったら、家に帰ろうねと父を励ましていた。父にお祈りをお願いしたら、このように祈った。「愛する天のお父様・・・、長い・・・病院生活でしたが・・・、明日で最後となります・・・。どうぞ、予定通りに・・・事が運びますように。ケンジや、ヒロミや、ママも・・・、今までありがとうございました・・・。」突然の言葉に、ドキッとし、母も姉も涙を流しながら、「何言ってるのパパ。まだ、明日は帰れないのよ。」と、語りかけたが、父はきょとんとしていた。・・・痛み止めが、効きすぎていたのかも知れない。でも、とにかく、そこに集まっていた一人一人の名前を呼んで、ありがとうと言ってくれた父。うれしかった。
  • 母も私も病院に行くことができなかったある日。姉が一日父の側にいてくれた。帰り際に、「パパ、今日はママも賢ちゃんもいないから、パパお祈りしてね」と姉が言うと、父は「今日はひろみがお祈りして」と言った。姉は慣れない事で戸惑ったけれど、「じゃあ、特別サービスで、今日だけね。」と言って祈りだしたとのこと。その祈りを終えた時、父親は、パチパチと手を叩き、「じょうず~!明日もヨロシク頼むよ」と姉に言って励ましてくれた、とのこと。
  • 兄が緋奈乃ちゃんを連れて行くと、父はいつも嬉しそうにして、元気が湧いてくるようだった。緋奈乃ちゃんが生まれたのは、父と母が洗礼を受ける2ヶ月ほど前のこと。実家の港南台の病院で生まれ、それから3ヶ月近く、緋奈乃ちゃんは港南台で父や母とも一緒に過ごした。そのせいか、緋奈乃ちゃんは、よく父になつく。「ヒナちゃん、じーじにヨシヨシしてあげて」と言うと、その小さい手で父の手や頭を一生懸命さすってくれた。まさに天使のような存在だった。兄も、緋奈乃ちゃんを連れて行くことが最高の親孝行だと思って、父を励まし続けてくれた。
    ある日の父の祈り。「愛する天のお父様。今日も、みんな一同に会し、集まれたことを感謝します。明日は、もっと賑やかになりますように。」寡黙な父ではあるが、賑やかにみんなが集まってくれるのは、やっぱり嬉しいんだなと思った。
  • 正月に3日間家に帰ることができた。この外泊に向けて、年末父は驚くほどの回復を見せた。ほとんど寝たきりであったのに、車椅子に乗せようとする時、「大丈夫」と言いながら、なんと自分一人の力で立ち上がって車椅子に乗ろうとしていた。でも逆に、思ったよりもずっと力の入らない自分の足に驚いた様子で、「おかしいなあ」と言いながら、ベッドに座った。父の気力の回復に、ただただ、あっけに取られるばかり。家についた父は、食べることもできず、ただ、寝ているだけではあったが、家族みんなそろって本当に賑やかに過ごす事ができた、最高の正月だった。あふれる恵みに感謝。
  • 母の誕生日に。母の祈りに続けてこう付け足したとのこと。「パパの分まで、長生きしてください・・・。分からない事があったら、天のお父さんに聞いてください・・・。」それを聞いて母は、「どうやって、パパの分まで生きるの? パパ。重ねることなんて出来ないじゃない。」と、言ってやったんだとのこと。父には、父が癌であるとは誰もはっきりと言わなかった。しかし父は、自分の病気が治る見込みのないものだということを、一人どこかの時点で悟っていたのだと思う。しかし、その事でパニックになったり、人を責めるようなことは一切なかった。むしろ心が定まり、天を見据え、病床で過ごす残りの生涯を、精一杯大切に生きているように思えた。母への言葉は、母を思いやる父からの、精一杯の誕生日プレゼントだったのだとも思う。
  • ある時、父は、母と姉を見比べて、「どっちがどっちか、分かんなくなっちゃったよ。」と言って、ニヤリと微笑んだとのこと。一方母は、時々「ウン、ウン」という返事をするのがやっとの時に、父に顔を近づけて、「パパ!私きれいでしょ!」と言って、父に「ウン」と言わせて、「あー、よかった!」とおどけて見せたりしていた。・・・この数ヶ月間は、病との闘いだった。でも、この数ヶ月間は、父にとっても母にとっても、ようやく二人っきりでずーっと一緒に過ごすことができたもっとも幸せなときだったのではないかとも思う。
  • 2月に入って。父は母の祈りに続けて一言だけこう祈った。「主イエス・キリストの尊い御名をあがめます。ありがとうございます。」
・・・ひたすら感謝し、だんだんと穏やかに、だんだんと輝いていくその父の姿を見続け、母はこのよう言いました。「本当に、病が進むにつれて、不思議とだんだんすがすがしくなっていくんだね。信仰が本物になっていくって、こういう事なのかしら・・・。」

 父は、痛くても苦しくても、わめき散らすような事はしませんでした。「痛い?」と聞くと、よく「まあ、痛いと言われれば痛い」とか、「まあ、こんなもんでしょう」とか、言っていました。でも医師に言わせると「痛くないはずはない。佐藤さんは我慢していますよ。」とのことでした。そして、我慢強い父らしく、最後の最後まで、そのようにして静かに息を引き取っていきました。

 父が息を引き取る前夜、父の姿を見ながら、私の心には聖書の中のある言葉が浮かんでいました。
「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」(ヤコブ1:12)

 「父は耐え抜いて良しと認められたんだなあ。父には、もう素晴らしい『いのちの冠』が用意されているんだ。」と心から確信することが出来ました。

 良かったね、パパ。今まで良いものを残してくれてありがとう。がんばってくれてありがとう。お疲れ様。今は、天国で、いのちの冠が与えられているんだね。天国でもみんなを見守って、みんなのために祈っていてね。本当にありがとう。


病院に入院した日、召天の日。その間のうるわしい会話、父のことばでした。
子供一同

7 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

すべて、主がよくしてくださったこと、ですよね!

匿名 さんのコメント...

信仰を最後まで貫き通した方の証は、心打たれます。家族の愛、夫婦の愛に励まされました。

ハレルヤ!

匿名 さんのコメント...

覚えてる。

さとけん さんのコメント...

masaya-samaさま。

父は誠実だったと思います。
短い信仰生活でしたが、良いものを残してくれて感謝です。

さとけん さんのコメント...

しょうこちゃん、

ありがとう。o(^-^)o

匿名 さんのコメント...

さとけんのことずっとみなしごだと思ってた。

さとけん さんのコメント...

(?_?)ん?

なんでだ?