恐れから来る否定的なエネルギーほど、私たちを蝕むものはない。
・・・久々にナウエンを読みながら、そんな事を感じた。
前に購入していたのに、まだ読んでない本が何冊かあった。
他の本も心が惹かれたらどんどん買ってしまうので、
ナウエン以外にも読みきれていない本はたくさんある。
しかし、ナウエンを読むと、その誠実さと、洞察の深さと、
その主張の明確さに、他の人とは違う圧倒的な練られた品性を感じる。
今読み終えたのは「キリスト者の視点から見た、親しさ、豊かさ、喜悦」という
副題のついた、『いのちのしるし』という本だ。
ナウエンによると、
この本は、ときに逆が正しいように見えたとしても、愛は恐れよりも強い、
という確信に立って書かれている。・・・「完全な愛はすべての恐れを追い払う」
・・・この本のなかでわたしはこの完全な愛のしるしを探し、
このしるしにそって進んで行く方法を見つけたいと思う。
恐れの家から愛の家へと移っていく霊的な動きの可能性を示したいと願っている。
と述べられている。
そして、その「しるし」が、「親しさ、豊かさ、喜悦」なのだ。
愛は、恐れから来る両極端な行動を超越したものだ。
愛は、隔離への恐れや、近づきすぎる事への恐れを超越し、
あらゆる状況で真の「親しさ」をもたらす。
愛は、不毛への恐れや、恐れから駆り立てられる生産性を超越し、
あらゆる状況で真の「豊かさ」をもたらす。
愛は、恐れからくる律法主義や、恐れから来る根のない状態を超越し、
親しみに満ちて、実り豊かな生活の報酬として、
「満ちあふれる喜び」をもたらす。
私たちが生きる、ということはとても神秘に満ちている。
私たちは、どうしても自分自身の存在価値を、
自分たちの外側に見いだそうとする。
しかし、私たちの内側に与えられるこれらの「愛のしるし」を
見失う事なく、いつまでも「愛の家」で過ごしていきたい。
2 件のコメント:
生きていることの神秘。存在そのものがとうといのに、
自分自身の存在価値を外側にばかり見ようとする。
この間創造論のセミナーを聞いて、あらためて、神の愛を感じました。脳とこころのこの神秘は、はかりしることができない。
そこにこそ、本当の価値があり、創造主の愛があるとあらためて感動した次第でした。
コメントじゃ、ないような投稿になってしまった。
ほんと、わたしたちを創造された方は素晴らしいですね!特に、人間に「人間らしさ」を創造された主を思うとき、ボクは感動せずにはおれません。感謝です〜。
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