ここ数週間、ずいぶんと体調が良くなって来た。
それまで、体調が良くなったかと思ったら
突然バーンと悪くなる事が多かったので、
しばらくは恐る恐る様子を見ていた。
でも、今回は本当に回復の手応えを感じる。
要因はいろいろあるだろうなー。
いろんな方に紹介された健康法。
生活パターン。
精神的なゆとり。
そして、誠実に祈ってくださる方々の愛。
体力的にも、精神的にも、時間的にもゆとりができると、
自分の内側に、人を受け入れる事ができる
健全なスペースが出来るのを感じる。
だから、いろんな人との距離感というのを
自分自身でしっかりと把握できる。
ボクのイメージの中では、愛とは解き放つ事だ。
縛られている人を解放し、自分もその人を縛らない。
でも、それが本物であれば、その自由の中で、
相手自身が本当になすべきことを選び取る事が出来るのだ。
そういう意味で、私自身が解放されていることは、
他の人をも自由にすることだと思う。
キリストの十字架は、私たちを解き放つものだ。
真の自由と愛によって、この地に回復をもたらす者とされたい。
5 件のコメント:
人をうけいれることのできる、健全なスペース。ということに心がとまりましたよ。
ほしいです。そのスペースが。畳半畳でも。
そうなれば、大丈夫感覚がもっと持てるんだが。
スペースがないから、人を不自由にさせてしまう。ほんと、そうなんですわ。
本当にそうですよね。
まず、自分には許容量に限界があるという事を認めることだと思います。そして、他の人のためにも、そのスペースを生み出す事が出来るような、ゆとりのある生活パターンをつくる必要があると思います。その責任は、たぶん自分自身にあるんですねー。
いい意味できちんと自立した人間になることが、結局は人間関係においても豊かな実を実らせるものとなるのだと思います。
「ボクのイメージの中では、愛とは解き放つ事だ。
縛られている人を解放し、自分もその人を縛らない。」
おお~
なんか、ぴりぴり~~~っときた。肌がぴりぴりする感覚。
Podcast聞いてるよ♪「君だからすばらしい~♪」この歌好き☆
たいちゃん〜ヌ
ぴりぴりっと来ましたかー!o(^-^)o
人を解き放つ、というのは単に放任する事とも違うんだー。自分が自分である事に自信を持てるように、その確信を与えてあげる事なんだと思う。
恐らくボクらは、神様が与えて下さった「自由意志」というステキなプレゼントを持て余しているんじゃないかなー。怖いんだよねー、自分で選んでいいんだって事が。その事に自信がもてるようになるためには、ある程度の傷は避けられないんだけど、でもそれだけの価値はあることだと思います。
たいちゃん、知識ではなく心の底から自分自身の存在を喜ぶ事ができるように神様は愛を注いで下さったんだと思う。じっくり、ゆっくり、しっかり歩んで行こー♪
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