人には右脳と左脳がある。
右脳は、感覚的・感情的な部分を担当し、
左脳は、論理的・理性的な部分を担当しているらしい。
人間にも右脳タイプの人と左脳タイプの人がいる。
でも、右脳だけの人、左脳だけの人というのはいない。
人間が人間らしく生きていくためには、この両者のバランスが大切だ。
最近気付かされているのは、
この右から左、左から右というコミュニケーションの大切さだ。
人が感動したり、泣いたり、笑ったりする事は、右側が担当している。
これはものすごく人間らしい部分だ。
しかし、これだけに頼ると、その瞬間瞬間の感覚に振り回されてしまう。
しかもその感情の表れ方が、心の傷など様々な要因でうまく発揮出来ないとき、
本来苦しむべきでない部分でも苦しんでしまう。
そんなとき、右側で起こっている事を、左側がきちんと受け止め、解釈し、
理性的な理解をする事がすくなからず助けになる。
そして、理性的な理解になると、それはより永続的なものへとなって行く。
何かを考えたり、知識として理解したりするのは、左側の担当。
これも人間に顕著に与えられた特殊な能力だ。
しかし、これだけに頼ると、無味乾燥なものとなり、
人の心を理解しない、硬直した生活になってしまう。
人生に与えられている、心から楽しんだりする能力が奪われてしまう。
そんなとき、左側で理解した事を、右側にうまく伝達し、
それを解放してやる必要がある。
そして、それを心で受け止められるようになると、生活が生き生きとしてくる。
これは、不正確さを恐れずに言えば、こういう感じかもしれない。
・聖書=左脳の担当(知)
・御霊=右脳の担当(情)
・コミュニケーション=私の担当(意)
つまり、この知・情・意のバランスが、生き生きとした健全な生活の土台となる。
神様が与えて下さっている豊かな祝福を、
私の祝福として受け取ること。
そしてその祝福が私を通して伝わって行く事。
そのために、何が健全で主に喜ばれる事なのか、
全身全霊をもって求めて行くものでありたい。
4 件のコメント:
なるほど。私の場合右と左のコミュニケーションが出来てなさそう。。。常にどっちかが主導権を握って交代で突っ走って生きているような(笑…)。。「私」よ、どこにいる~???
右が突っ走ってる時には左に、左が突っ走ってる時には右にいたりして~。それはいわゆる「自分探し」なのかなー???
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