「わたしの目にはあなたは高価で尊い」と神が言われる時、
恐らくその目に映っているのは、私の「才能」ではなく私の「存在」そのものだ。
私の存在を喜んでくれる方がいる!
存在そのものが贈り物。
私の存在は、神の賜物で満ちているのだ。
ナウエンは言う。
才能と賜物の区別には意味があります。
私たちに与えられている賜物は、才能より重要です。
私たちは少ない才能しか持っていませんが、賜物はたくさん持っています。
私たちの賜物は、私たちの人間性をさまざまな手段で表わすものであり、
私たちが何者であるかを表わすものです。
すなわち、友情、親切、忍耐、喜び、平和、赦し、柔和、愛、希望、信頼、
そのほかの多くのもの。
これらは、私たちが互いに与え合うべき真の賜物です。
(「愛されている者の生活~世俗社会に生きる友のために」より)
でもこの世は、私に「才能」を求めるし、その重圧はただものではない。
「存在」そのもので安住していられるほど、世の中は甘くない。
「自らの価値を証明せよ」という誘惑に、私たちは容易に屈してしまうのだ。
むしろ、「私たちには何もできないんだ」という事をもっと素直に認めるべきだ。
そうすればきっと、存在価値の証明という誘惑から脱して、
純粋に、与えられている賜物を分かち合えるようになる。
無力さという賜物。
主よ、私を、そういう全く新しい次元に、留まらせてください。
私はあまりにせっかちなのでしょうか。
私のうちに、キリストの姿がかたちづくられるまで、
忍耐することを教えてください。
それは、私の希望です。感謝します。
2 件のコメント:
本当にそう思いますね。
ナウエン。僕も大好きです。
彼の本の中にパンを切り裂いて、
そして分け与えるシーンとか出てきて
その「分け与え」のシーンがとても
好きです。
あと、自分が無価値だからこそ、
本当にそこに立ちたいです。
あなたはそのままの姿で高価で尊い。
存在そのものが素晴らしい。
そのことをもっと噛締めたいです。
それでは。
shio_hikariさん~。
コメントありがとう♪
「パンを裂くこと」は、とってもとっても興味深いテーマです。ナウエンのこの部分の理解は、とても味わい深いものがあるよね。
神様がつくられたありのままの自分自身を、感謝して喜んで生き抜いていきたいね。お互いに必要な気付きが与えられながら、ともに歩んでいきまっしょう!
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