フィギュアスケートは、やっぱりオリンピックの華だ。
華麗な滑りを見ながらそう思った。
特に心奪われたのは、コーエン、スルツカヤ、村主。
ボクには採点方法や、スケートとしての良し悪しはよく分からないが、
この3人の滑りは、何か見ているだけで感動させられた。
何と言ったらいいんだろう。
芸術性?味わい深さ?
とにかく、惹きつけて放さない魅力を感じた。
それは、恐らくテクニックではない。
しかし、テクニックがなければ話にならない。
でも、テクニックにとらわれると、本質を見失ってしまう。
芸術家が、真に芸術家であるためには、
それを裏付けるための十分なテクニックが必要だ。
しかし、テクニックそのものは、本質ではない。
これは、私たち自身の人生の本質を考える上でも、大いに参考になる点だ。
私たちは、神の作品。
私たちは、神の美しさをこの世に輝かせる使命がある。
それは、ことばや口先によるものではない。
良い行いによるものですらない。
それは、神ご自身の栄光の輝き。
私たちに、無条件で与えられた贈り物。
もちろん、生きるためのテクニックは必要だが、
それ自体は、人生の本質ではない。
飽くなき追求をやめた芸術家が、もはや芸術家とは言えないのと同様、
私たちは、その生き方において、簡単に分かったふりをして、
安住してしまってはいけない。
だからと言って、安息のない状態の中で、
気を病みながら、混乱し続ける事がよいとは思えない。
私たちは、神の芸術作品として生き続ける事が出来るだろうか。
自分自身を砕きながら、平安と希望にあふれている事が出来るだろうか。
本質を発揮するために、それを見失わずにテクニックを磨く事が出来るだろうか。
テクニックの修得には、順序というものがある。
まずは、ごくごく初歩的な、基本原則を学ばなければならない。
形式を越えたところにあるものを、とらえるためには、
まずその形式を学ばなければならない。
自由にそれを扱えるようになるためには、
自らを律して、まず型に押し込められなければならない。
でも、いつかはその型から脱皮しなければならないのだ。
深い美しさに触れると、なんだかそういうものが呼び覚まされる気がする。
芸術作品には、そんな奥深い魅力があるのだ。
・・・ボクも芸術的になりたいです!
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