2006/04/12

無駄なこと

世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、
この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。
(マルコ14:9)


イエスに、純粋で、高価な香油を注がずにはおれなかった女。

なんのために、こんな無駄な事を・・・。
人々は彼女に憤慨した。


たしかに、このお金を貧しい人たちへの施しとして用いる事もできただろう。
でも、これは彼女が選んだことであって、他の人がとやかく言う必要のないことだ。
なのに、なぜ人々は憤慨する必要があったのか?


彼女の行為、彼女の犠牲、彼女の愛は、明白だった。
恐らく、人々の心の奥底の純粋な良心は、彼女の行動に
心が揺り動かされる何かがあることを、うすうす認めていたのではないかと思う。
そのとき、人は自分自身の内面を省みて、心が刺されたような気持ちになる。
そこでくずおれて、涙して自らのあり方を悔い改める事もできたのだ。

しかし、人々は自分のあり方を変えたいとは思わなかった。
とたんに「自己正当化」をする方向へと、心は傾く。
そう。悪いのは、この女だ。
「香油を無駄にしない私」の方が正しいのだ。そうに違いない・・・。



主よ。心が頑なのは、この私です。
他の誰かではない、この私が、あなたとどう向き合うかです。
この女のように、私はあなたに向かう事ができるでしょうか。
あなたに最高のものを捧げられない自分自身を、
自己正当化していないでしょうか?
ああ、主よ。純粋な心であなたに向かう事ができますように。
どうか、心が固く閉ざしてしまう前に、
しっかりと、あなたの語りかけに耳を傾ける事ができますように。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

自己正当化していない、って思えば思うほど、実は自己正当化している自分がはっきりといる。。神様、私は自己正当化していないんですよ、って自己正当化してしまっている。。ただ、謙遜に従順に、素直に従っているつもりでも、自分を捨てることはできそうもない。。
自分が人の前で非難されたり、威嚇されたり、攻撃されたりするときに、黙って笑顔で人を愛し続けることは、とてもできそうにない。。でも、十字架を背負ってみじめなイエス様に従って行こうという思い、その愛と信仰を僅かでも持ちつづけることができるなら、たとえどんなに人からあざけられようと無視されようと、天の御国に入ることを許された恵みの約束を握り締めているキリストを信じる者たちは、喜びと感謝の中にあって救われるのかなあ~。高価な香油を心からの愛を持って使うことは、自分が持っていると思っている、実は神様から与えられたものを、主の御用のために、惜しげもなく捧げることだと思うし、主にあっては、何も無駄になることはなくて、たとえこの世的には高価でなくても、霊と真から主に捧げるものはすべて、高価な香油以上の価値を持つということ、彼女の行為こそが主の目から見て、本当に価値あることなんだろうなあ、なんて、自分でも言ってることがわからなくなってきましたけど、そんな風に感じました。

さとけん さんのコメント...

もともとさん・・・・
うーん。確かに何を言っているのか分からない・・・。
^ー^;なーんて。

でも、一つ一つ自分自身に照らして考えてみることって、大切ですよね。きっと、すっきり分からないのは、まだ自分が体験し得ていない恵みがそこに隠されてるってことですよ〜。これからの歩みが楽しみですね!いろいろと、よろしくです。