2006/04/17

「枠」について

「枠」ということについて考える事がよくある。
「境界線(Boundary)」という言葉が頻繁に使われるようになり、
そしてクリスチャンたちの間では、同名の本もよく読まれているようだ。

私たちは、個人としても、社会組織としても、
自らの「枠組み」について、自分がどのようなスタンスを持っているのかを、
あえて意識してみることは、とても有意義な事だと思う。

人はそれぞれ神によって定められた時に、それぞれに定められた訓練がある。
その人の成長の段階に応じて、神はもっとも適切な訓練をなしてくださる。
それぞれが持っている「枠組み」へのスタンスに関しても、
主は同様に、定められた時、定められた方法で、私たちを訓練なさろうとしている。

大切なのは、今、主が「自分自身に」与えようとしておられる訓練が、
どの部分なのかをしっかりとわきまえる事だと思う。


以下は、この事についての覚え書きです。


1.「枠」の中に留まるべき時。

 エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。(使徒1:4)


2.「枠」そのものを広げるべき時。

 あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、
 綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。(イザヤ54:2)


3.「枠」から飛び出すべき時。

 イエスは「来なさい」と言われた。
 そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
 (マタイ14:29)


4.「枠」を築くべき時。

 「さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」
  そこで彼らは、「さあ再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。
 (ネヘミヤ2:17,18)


5.「枠」を壊すべき時。

 ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、
 訪問したりするのは、律法にかなわないことです。
 ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、
 汚れているとか言ってはならないことを示してくださいました。
 (使徒10:28)


主よ。私が「今」受けるべき訓練を見失う事がないように。
「私が」受けるべき訓練は、誰かが受けるものとは違うかもしれません。
あなたは、私を丁寧に導いて下さるお方。
だから、たえずあなたに耳を澄ませて、その導きを確信できますように。
委ねます、主よ。

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