2006/04/27

休むとき

頭いたいかなー。
喉いたいかなー。
体だるいかなー。

って思ってたら、パワーがしゅぅぅぅんと萎んでしまい、
結局、昨日と今日、お休みしてしまった。

他にいっぱい休みを必要としている人がいるのに、
不平も言わずに熱心に仕えておられる方々がいるのに、
ボクは一体何をしているんだろう・・・。
そんな思いが頭をよぎるのは事実。

さあ、ここですよ。個人的にしっかりと向き合わなくてはいけないのは。
まず「自分は自分であって他の人ではない」ということ。他の人を憐れんだり、犠牲を払って仕えることは必要。しかし、もしその動機が「みんな大変なのに私は休んでいて申し訳ない・・・」というものだとしたら、少し危険信号。その時点ですでにそれは、他者への憐れみではなく、自らの罪責感に変わっている。そして、自分も忙しくすることで、(たとえ具体的に他者の力になれなかったとしても)自分自身を納得させてしまう。

次に、私が休むということがもたらす結果について。ある人たちにとっては、負担が増えることになるだろう。なそうとしていた仕事も遅れるかもしれない。しかし、私は長い目で見れば、休むべきときに休む事が出来ない人々が、信仰を持ってそれをなす事ができるための道備えになるのではないかと思う。私たちは、どんなライフスタイルを思い描いているのか。クリスチャンとしてのライフスタイルは、そうでない方々のライフスタイルとどこが違うのか。そして、どこが一緒なのか。いや、一緒であるべきなのか。

いろんな意味で、教会は、かなり社会に影響されている。
本来は、教会やクリスチャンが社会に影響を与えるべきなのだ。
人々が教会を見た時、クリスチャンである私たちを見た時、そこに何を見いだすだろうか。
それは殻に閉じこもって、自分たちの考えにだけ固執した、ちょっと変わった人々?
それとも、既存のあり方を大胆に打ち破り、本当の自由と解放を与え、生活の意味を取り戻し、愛にあふれた調和のとれた日常生活の回復をもたらした、イエスキリストを見いだすだろうか。

私たちは、クリスチャンになればなるほど、クリスチャンでない方々との接点が減っていく。
イエス様はむしろ逆だった。どんどん罪人の友となるべく人々の間に出て行った。
なぜ私たちはそうでないのか?
教会のあり方に何か問題があるのか?
私の考え方に何か問題があるのか?
それとも別の何かがあるのか?

ここはじっくりと腰を据えて考えてみた方がいい。
私たちが進もうとしている先には、神のみこころの世界がはっきり見えるのか?
これは世界観の問題だ。
私たちは、正しい世界観を持っているだろうか?


さて、今イエス様がここに現れたら、何をするだろうか。
もう一度心を開いて、考えてみたい。
イエス様だったら、私たちのどこから手を付けられるだろうか。

あり得ないめぐみの中、いただいた二日間の休暇。
この事実に心から感謝しつつ、明日にむけて歩みだろう・・・。
主よ、私をもう一度お委ねします。
主が、私の内側で生きて下さい。感謝します。

8 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ごめんなさいね…さとけん兄やフルタイムで献身していらっしゃるみなさんにかかっている働きの重荷は本当に大きいと思います…。疲れた時はちゃんと休んで十分に充電してください!!私も早くみなさんのお手伝いがもっと出来るようになりたいです…。
本物の愛、すべての良いものを造られた私たちの神様。その神様のやり方で天国のひな形をつくれる力に御子イエスキリストによってつながれた私たちクリスチャン!皆で共に助け合い、励ましあい、愛をもって御霊に導かれ力強く歩んで行きましょう!主が私たちの頭です!たとえつまずいても、必ず前進します!

匿名 さんのコメント...

「クリスチャンになればなるほど、クリスチャンでない方々との接点が減っていく。」という問題意識、いい所突いていると思います。キリストにある者は自由で開放されている必要があるのに、この世から離れて枠の中に閉じこもる傾向があります。私もそうです。。イエス様は枠を壊すために来られたのに、私はみえない枠を作り、きっとその中に自分を置くことで、逃げているのかもしれません。よしまろさんみたいな元気って、すごい新鮮。でも、さとけんさん、人はいつも元気でいるわけではないし、疲れたら休んでいいのですよ。そして疲れて弱っている人こそ、イエス様に一番近いのですから。。前進だけが道ではありません。後戻りしても、周り道しても、ただひたすらカルバリの十字架を仰ぎ見ながら歩んでゆけばいいのです。。
休み休みでも、ゆっくりと歩んで行きましょう。私も、よしまろさんのペースにはそのうち着いていけなくなるかもなあ~。いつも、さとけんさんに主の守りと祝福がありますように。本当にありがとう。

さとけん さんのコメント...

yoshimallowさん。
ありがとう〜。ボクはまあ、だらっとしてるだけですよ。今は、その程度のときでも無理しないで休める状態だって事が本当に感謝です。まあ、ぼちぼち行くさ。

さとけん さんのコメント...

匿名さん。
ホント、どうやったらイエス様みたいに、自由に、大胆に、罪人の友となることができるんだろう。これは、ある程度理性的な確信が必要な部分かもしれないな。

「疲れたら休んでいいのですよ。そして疲れて弱っている人こそ、イエス様に一番近いのですから。。前進だけが道ではありません。後戻りしても、周り道しても、ただひたすらカルバリの十字架を仰ぎ見ながら歩んでゆけばいいのです。。」
 アーメン。感謝です!

匿名 さんのコメント...

ワーシップな生活を見てワーシップする生活してます。むと

匿名 さんのコメント...

私には教会から離れた時期がありました。イエス様から自分から離れて、でもイエス様を知ってしまった自分だからイエス様に満たされていない状態が虚しかった時。その時に本郷台に来ました。前に読んでもらった長バージョン証の9に重要な事を付け足さなくてはいけません。私が聖書を持ってこなかった時に、さとけん兄がたまたま隣に座っていて聖書をかしてくれました。そしてさとけん兄が前で祈りをする時がありました。その時私は悔しいほどにイエス様を感じ、祈りの言葉が御霊に満ちていたのを思い出しました。T先生、牧師先生の祈り、メッセージもそうです。この教会が主の御力に溢れていて息が詰まるくらいに主の愛が流れ出ていました。
私がもがき苦しんでいたときに、主を見せてくれたのはさとけん兄です。そして、この教会です。まだお礼を言っていませんでした。本当にありがとうございました。

さとけん さんのコメント...

yoshimallowさん、
それは感謝ですね!神様はそんな小さな事を通してでも、実際に力を与えて下さるなんてっ。こちらこそ感謝です。

匿名 さんのコメント...

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