2005/12/02

BGM

ユースクリスマスのBGMの録音を手伝った。
すでにキーボードに打ち込んである音源をCDに落とすだけの作業。

でも、31曲もあった。
すごいなあ。それを知らずに、私は15曲目ぐらいで思わず、もう終わり?って聞いてしまったら、「あと15曲くらい」と言われてしまった。冗談だと思ったら、本当だった。

出来上がったものを、聞くのにはそれほど時間はかからないけれど、それを作るまでにどれほどの労力、時間、忍耐が捧げられていることか。それを恐らくほとんどの人は知らない。いや、「知る」というほどのイメージすらないだろう。ある人にとっては、そういう能力があって素晴らしいわね、で終わってしまう事かも知れない。でも、そこに捧げられている時間は、能力ではない。情熱であり、献身だ。

でも、労苦して出来上がったものが、ダメ出しされて、やり直しを命じられる事もあるという。
「あなたが、ダメだと言うのは簡単だけど、私がどれだけ時間をかけてこれをしてきたか分かってるの?」 ・・・ついついそんな事を言いたくなってしまうに違いない。実際、その通り、その人は、そんな労苦を全く省みないで、あっさりと言いのけてしまっただけかもしれない。


さてさて私だったら、そういう時、どうするだろう。
何十時間もかけて、手間隙をかけて、やっと出来上がった何かを、「あ、それはもういらなくなったんだ」とか、「もっと、こうできないの?」とか、簡単にあしらわれたら・・・?

「分かりました」と言って、すなおにその言葉を受け止め、不必要に傷付く事もなく、前に向かって喜んで引き下がる事が出来るだろうか。それとも、表面上だけ受け止めて、内側は不平不満でいっぱいになるだろうか?いやいや、表面ですら受け止められず、あくまでも自分自身の労苦からなされた成果を主張し続けるだろうか?

逆の立場ならどうだろう。相手がどれだけ苦労したかが分かっている時。でも、どうしてもそれが、その場に合わない、もしくは不必要だと思われる時。相手を思いやって、何とかそれを生かす形で用いる道を模索するか。それとも、感謝を表しつつも、遠まわしに不要を伝えるか。いや、はっきりと面と向かって断るか?


・・・これは、相手や、いろいろな境遇によって変わってくる事だと思う。でも、往々にして私は甘い。そして、どちらの立場に立っても、「相手に受け入れられやすい方」を選んでしまう。もしくは、それを恐れて、冴えない対応になってしまう。

あなたがたのことばが、いつも親切で、
塩味のきいたものであるようにしなさい。
そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。
(コロサイ4:6)


主よ、どうか心の動機を取り扱ってください。言葉を守ってください。
キリストが私の心を支配し、正しい判断力と、真に愛にあふれた行動をもって、一人一人に接していく事が出来ますように。そして、必要であれば喜んで自分自身の思いを捧げ、キリストに従うようにして従っていくことが出来ますように。私の労苦は、あなたが知っていてくださるのですから。

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