2005/12/04

信頼

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。
私の望みは神から来るからだ。
神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。
私はゆるがされることはない。
私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。
私の力の岩と避け所は、神のうちにある。
民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。
あなたがたの心を神の御前に注ぎだせ。
神は、われらの避け所である。
(詩篇62:5-8)

私は神を信じるようになってから、神への信頼が消えた事はない。
考えてみると不思議なことだ。

自分が嫌になったことや、自分が信じられなくなった事なら嫌というほどある。というよりも、ほとんどの時とエネルギーとを、自分の内側の自信のなさを隠したり、防御したりするのに使ってきたような気がする。それは、神を信じてからも同じだ。人を疑ったり、裁いてみたり、反発してみたりした事も数え切れないほどある。

でも、神への信頼自体が消えた事はないのだ。たとえ理解できないことがあっても、思い通りに行かない事があっても、大いなる理解を越えた存在がどんな時でも私を支えてくれているという信頼によって、今の私は成り立っている。

私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。
彼にはご自身を否むことができないからである。
(2テモテ2:13)

わたしを呼べ。
そうすれば、わたしは、あなたに答え、
あなたの知らない、
理解を越えた大いなる事を、
あなたに告げよう。
(エレミヤ33:3)

私は、すでに得たのでもなく、
すでに完全にされているのでもありません。
ただ捕らえようとして、追求しているのです。
そして、それを得るようにと
キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
(ピリピ3:12)

私が真理を求め、神を捕らえようとしている時、キリストは私がそれを得られるようにと、すでに私を捕らえてくださった。何という愛、何という恵みだろう。

私が神を信じる事が出来るようになったのは、私が神のすべてを理解する事が出来たからではない。しかし、信じる事が出来たのだ!何という恵みだろう。

そして神を知れば知るほど、私の得たものの大きさ、素晴らしさに今でも感動する。感動が増し加わっている。何という恵みだろう!

こんな素晴らしい奇跡が、私の人生になされたのだ。
もう私は、私自身の存在意義を自分自身で主張する必要はないのです。

主よ、感謝します。
あなたを信頼します。
何という愛、何という恵みだろう!

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