2005/12/29

従順の原動力

神から与えられた志は、もしそれが本当に神から与えられたものなら、
それに従って行動することが、神のみこころだ。
その従順を通して、神は働いてくださる。

しかし、人にその従順をもたらすものは、何だろう?
もし、みこころに関しての十分な知識があったとしても、それは必ずしも従順をもたらすとは限らない。また、表面上で従っているように見えたとしても、必ずしもそれは従順とは言えない。

では、キリストが十字架の死にまでも従われたのは、なぜだろう?
・・・そう、「愛」こそが、従順の原動力なのだ。


知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。
人がもし、何かを知っていると思ったら、
その人はまだ知らなければならないほどのことも
知ってはいないのです。
しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。
(1コリント8:1-3)

愛は寛容であり、愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、
怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、
すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛は決して耐えることがありません。
預言の賜物ならばすたれます。
異言ならばやみます。
知識ならばすたれます。
というのは、私たちの知っているところは一部分であり、
預言することも一部分だからです。

こういうわけで、いつまでも残るものは
信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。
(1コリント13:4-9, 13)


十字架の愛の大きさを思う。
私たちの愛の源はここにあるのだ。
主よ、あなたの十字架を、今日も仰ぎます。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

さとけんさん、
今年1年、有難うございました。
来年もまた宜しくお願いします。

来年がさとけんさんにとって素敵な年でありますように・・・

良いお年を・・・