2005/12/13

ぽった?

「ハリーポッター・アズガバンの囚人」をDVDで借りてきて見た。
やっぱり最新版を見る前に、一通り見ておかなくてはと思いまして。

 しかし、「クリスチャンはハリーポッターなんて身にいくべきでない!」という意見もありうるだろう。そういう意見は尊重するし、それはそれでいいと思います。

 でも、なぜそういう意見を主張するのかは、ぜひ教えて頂きたいです。魔法を取り扱っているから?戦いがあるから?そんな映画いくらでもあるんだけど・・・。?映画からの悪い影響を恐れているのでしょうか?では、どんな悪い影響でしょう?ナルニア国物語だったらいいの?なぜでしょう?クリスチャンの原作ならすべて安心なのでしょうか?実際、見てからそう判断しているのでしょうか?
 もちろん、「信頼すべき人の意見を信頼するから」という事も理にかなっていると思います。でも、自分で自分の考えの責任を放棄してはならないと思います。


主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、
それ自体で汚れているものは何一つないということです。
ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。
(ローマ14:14)


 多くの小説、ファンタジーがそうであるように、これらの物語は、そのプロットを通して、それぞれに大切なメッセージをもっている。それをじっくりと観て聴いたらいいんじゃないだろうか。本一冊読むぐらいのインパクトはあります。クリスチャンではないからそこでの思想そのものも悪いのだとしたら、もう私たちはこの世の中にいれなくなる。むしろ、彼らからこそ多くを学ぶ事が出来るんじゃないか?
 リバイバル新聞の記事では、これが学校の秩序に反抗してポッターがヒーローになるというのがメインテーマだからよくない、というような事が載っていた。馬鹿げてる!正しくないと思う事を制限することも、時にはもちろん必要だろう。でもそれ以前に、もっと積極的に「私たちが守るべき大切な価値観」とは何かの見本をしっかりと見せてあげて欲しい。

私たちは、本当の意味で自立し、主体的に育っているだろうか。
また、私たちが人を育てる時、そのような人格を育てているだろうか。

 もし私の自由によって弱い魂が滅びてしまうのなら、私は喜んで、自分の意思でそれを手放そう。しかし私はむしろ、「情報の制限」の背後にある律法主義的な思考停止から来る悪影響のほうが心配だ。現代の子供達、大人達に本当に必要なのは、正しい価値観に基づいて物事を自分で判断する事が出来る力を身に付けさせる事なのではないだろうか。

 自らの体験を通して出なければ、学ぶ事が出来ない限度というものがある。それを積極的に身に付ける訓練が必要だ。あれやこれやと制限する前に、どうしたらその様な人格を身に付ける事が出来るか、誠実に、大胆に取り組むべきなのではないだろうか?


<追記> 読み返してみて、どうもこの記述は、なかなかうまく表現できている気がしません。もし、これを読んでくださっている方がおられたら、これは、私の自己対峙のため記述である事をご容赦ください。そして、ご意見・ご指導くだされば感謝です。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

神様から直接与えられた思いは自分自身のものとして大切にしたい。

自立した信仰を持って
神様から与えられた本来の自分を表していきたいと思うよ。

匿名 さんのコメント...

じゃーじゃ

さとけん さんのコメント...

自立して初めて、正しい意味で「相互依存」できるようになるのだそうです。楽しみだね。