2005/12/22

信頼の力

「信頼」は、この世の中で最も美しい事の一つだと思う。

しかし本質的に、「信頼」にはリスクが伴う。先の事は分からない。絶えず想定外の出来事がつきまとう。「信頼」とは、自分が傷つくかもしれない可能性をあらかじめ認めることだ。「信頼」の度合いが大きければ大きいほど、裏切られた時のダメージは大きくなる。だから、裏切られたり、傷つけられたりする経験が重なると、もう傷つきたくないという自己防衛のために「信頼」の度合いを引き下げてしまう。自ら「信頼」の度合いを引き下げることは可能だが、「裏切る」ことは基本的に相手の側にあり、自分ではコントロール不可能だからだ。

しかし、人を信頼するというのは大きな力だ。それは、自分自身にとってだけでなく、相手にとっても大きな力になるものだ。信頼は、信頼を生み出すのだ。


神は、人を信頼された。神は、「自由意志」を持った存在として人を創造された。それは、裏切られる可能性を百も承知の上で人を造ったということだ。

しかし、人は神を裏切った。
そして、神の心は傷ついた。

しかし、神は人を信じ続けた。神の私たちへの信頼はいたるところに見られる。

しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、
あなたのために祈りました。
だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。
(ルカ22:32)

これは、神の私たちへの信頼である。彼らの信仰はなくならない。彼らは必ず立ち直る。祈るということは、そのように信頼するということだ。

神は、私たちが真の信頼関係を回復するようにと、ご自身をささげられた。それは、不信仰からくる、律法によるリスク管理ではなく、信頼と愛によって、その人の内にある本来の姿が回復するためだ。信頼されると、不思議とその力が発揮されるのだ。

「・・・私はあなたに約束したのです」
一人の人が、勇気をもって信頼し始める時、この世界が変わる。
私はそう信じる。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

あー、うーんと、えーとさぁ、
なんか、うまく言えないんだけれど

とりあえず人を信じて、「きっと良い方向に行く。きっと成長する。きっと好転していく」って信じて、祈ったり待ってたりして、

・・・そうならなかった時、、、

俺は、なんだろ、そうならなかった理由を考え出すんだ。

「きっと御心じゃなかったんだ。」「まだ時じゃなかった。」「あの人は回り道を選んだけれど、きっとそれも必要な道なんだ。」

なぜそんな事をするのだろう。きっと、自分が「これがきっとこの人にとってベストの道」と思った方向に進まなかったとき、自分が傷つくのが怖いのかも。

でも、さとけんの記事読んで、そうじゃないのかもって思えたよ。リスクを伴う。失敗がある。回り道がある。ダメージを受ける。

それでも信頼する・・・かぁ。

半熟卵のように、まとまらないコメントでした。