2005/11/21

自己変革

今日はウィロークリークの中心的な礼拝・・・Seeker's Service(求道者向けの礼拝)に参加した。参加してみてびっくり。私は勘違いしてた。求道者向けの礼拝とは何かを。

 もちろんいろんな側面があると思うのだが、私が今日見て感じたことはとても大きなチャレンジとなった。求道者向け礼拝とは、当たり障りのない、受け入れられやすい事をやって求道者にも違和感なく来てもらおう、という物ではない。むしろ、クリスチャンであってもクリスチャンでなくても、人が人として生きていく上で最も大切なことが何であるのかを、深く考え、はっきりと提示することだと思った。ともすると、クリスチャンには「未信者を信者にすること」に全力を注ぎ、あとクリスチャンになったら、一安心してそれでよしとしてしまう傾向が正直言ってあるように思う。そして、さらに忠実なクリスチャンは、教えられたことを言葉としてくらいしか把握していないのに、正しく生きようとして、結果として律法的になってしまう事が往々にしてある。いい人であればあるほど、そうだ。
 しかし、今回の礼拝では、「これこそが人間の生きる道だよね」という社会の中で困っている人たちに、きちんと目をむけ、小さなことから大きなことまで仕えていく。互いに仕えあっていく。内側に集まる集まりではなく、目を外に向けていこう、という呼びかけが、信者にも未信者にも語りかけられる。その価値観を共有した未信者、そして自分もそう生きたいと同意した未信者の方々は、じゃあどうすればそういう風に生きる事が出来るんだ、という疑問を当然感じる。そして、イエスキリストが自分の人生にとって不可欠な存在であることを知り、その後もよろこんでそこで仕えていくことが出来るようになる。そんな素晴らしい機会になった。これこそが、求道者に対して繊細な礼拝だと思った。

夜には先生方と一緒にツアーの分かち合いをした。感動だったのは池田先生の言葉だ。今回のツアーに同行したセブンスデーアドベンチストの方々に対して、池田先生は「かつて「異端だ」とはっきり教えられていて、その偏見はずっととれなかった。でも、宮本先生の姿勢に感動してこうして繋がりが出来るようになり、普通のクリスチャンだということが分かった。いまだに福音派の私たちが持っている壁がある。先生、赦してください。」

すごいことだと思った。セブンスデーが自己変革をしようとしている事にまず感動。そして、そのセブンスデーに対する壁を自分の中に見出し、はっきりと悔い改めて和解・解放のみわざへと導く池田先生に感動。
自分とは違う人(結果としてすべてだが)とどのように関わるのかについては、相当の成熟が必要。
「初歩の教え」を教えてもらわなければならない。

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