2006/01/02

君は愛されるため生まれた?

「君は愛されるため生まれた」という素晴らしい曲があります。

韓国で作られた曲だそうです。日本でも流行りましたね。
私たちの教会でも、時々歌います。

この曲を聴いて、多くの人が涙を流すのを見て来ました。今の日本を生きる私たちの、心の琴線にふれるものがあるのだと思います。でも、逆に言うと、本当に多くの方々が、心の奥底で、この「愛のメッセージ」を浴びせられることなしに生きてきたんだという事なのです。それを思うと、心が痛くなります。

今、自分自身の存在不安に悩む子供達がたくさんいます。いや、子供ばかりではありません。大人たちだってそうなのです。「あなたは愛される価値のある存在だよ」って、魂の深いところに語りかけられる必要があるのです。

この時代は、正しい求心力を失っているように思います。
突然「重力スイッチ」のヒューズが飛んだような状態です。
一生懸命もがいても、前に進めないのです。
バランスもとれないし、下手するととんでもない所に飛んでいきます。
何よりも、なんだか落ち着かないのです。

「愛されている」という実感は、なくてはならないものです。


・・・でも、「愛されるために生まれた」という言い方の中に留まってしまう事も、まだ消極的だと思います。確かに「愛されるために生まれた」のだけれど、私たちは、それよりももっと素晴らしい事を体験するために生まれたのです。

そう、それは「愛するため生まれた」という事です。

多くの人は、この高尚な使命を理解し、自分自身を犠牲にして神と人を愛そうとします。でも、「自分自身」が愛されているという実感をもてないまま行なっている場合が多いのです。(特に、クリスチャンになる人ってまじめな人が多いですし・・・。) 本当の意味で自己犠牲をするためには、「自分自身」が何者かがはっきりと分かっている必要があります。自分自身すら存在価値を把握できないものを、どうして正しく献げる/与える事ができるのでしょうか?私たちが、献げる/与えるものは、価値があるものでなければなりません。私は「愛される価値のあるものだ」って事を実感して初めて、「この大切ないのちを、同じような大切ないのちのために献げよう」という決断ができるようになるのです。


「君は愛されるため生まれた」
この曲が、ますます歌われることを通して、真に愛されることを受け取れる人たちがたくさん起こされ、真に愛することに燃やされる人たちも立ち上がっていく事を心から願います。

愛は、地球を救うのです。

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