2006/01/13

ラブ・レター

ラブ・レターって書いたことありますか?

自分の思いがどうやったら相手に伝わるのか。
果たして相手は自分のことをどう思っているのか。
そもそも自分のこの思いにどれだけ根拠があるのか。

そんな事を悶々と考えながら、
勝手に切なくなってみたり、いらだってみたり・・・。
書いては丸め、書いては丸め・・・。

最近は、そんな経験する人も少ないかもしれないですね。
でも、「手紙」に思いを託すのって、自分の成長のためにも益になる体験だと思います。


べ、べつに今ラブレターを書いてる訳じゃないですよ!!
パウロの手紙を読みながら、なんだか、今までになく
心に訴えかけてくるものがあったんです。


私は大きな苦しみと心の嘆きから、
涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。

それは、あなたがたを悲しませるためではなく、
私があなたがたに対して抱いている、
あふれるばかりの愛を
知っていただきたいからでした。
(2コリント2:4)


泣けます。ほんと。なんて誠実なんだろう。

コリントの人たちは、恐らくパウロの事を完全には理解しきれず、
非難したり、疑ったり、ののしったりしていた。
でも、パウロはコリントの人たちを信じ、励まし、慰め、キリストにある愛と喜びの世界へと、何とかして導こうと、苦悶していたのだ。


私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。
(2コリント1:7)

私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく、
あなたがたの喜びのために働く協力者です。
あなたがたは、信仰に堅く立っているからです。
(2コリント1:24)


パウロが、自分自身の召しに、これほどまでの確信がなかったら、
彼らへの愛と情熱が、これほどまでにあふれていなかったら、
キリストの愛に、これほどまでに自分自身で感動していなかったら、
これほどまでに、影響力のある働きは出来なかっただろう。


聖書は、神からのラブ・レターだという。
そして、その聖書の重要な部分は、人から人へのラブ・レターになっている。
「神は、あなたを愛している」というメッセージは、
人格から人格へと伝えられるものなのだ。

なぜなら、私が愛することなしに、神の愛は現れないのだから。

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