2006/01/01

種を蒔け

あなたがたは正義の種を蒔き、
誠実の実を刈り入れよ。
あなたがたは耕地を開拓せよ。
今が、主を求める時だ。
ついに、主は来て、
正義をあなたがたに注がれる。
(ホセア10:12)

これは、教会の今年の標語のみことば。
今年は、「回復の年Ⅱ」。
昨年に引き続いて、回復の年の2年目なのです!

でも、このみことばから言うなら、「農業の年」って感じです。
・・・種を蒔け
・・・実を刈り入れよ
・・・耕地を開拓せよ
・・・注がれる
きっと、私たちは、お百姓さんから知恵を学ぶべきですね!


種を蒔いても、放っておいては、豊かな収穫を期待することはできません。
お百姓さんは、水を注ぎ、肥料をやり、雑草をとり、いろんな手をつくします。
でも、「健全に育てさえすれば、時が来れば、必ず収穫をもたらす」という事を、
本気で信じているからこそ、手をかけ、愛情たっぷりに育てるのです。

時間はかかります。手間もかかります。
でも、確実に実を実らせるのです。

「時間がかかる。」
・・・その事が、理解できれば、今なすべき事が見えてきます。
ちょっとやそっとの問題で、揺り動かされる必要はないのです。



そして、今日の先生のメッセージは、私の信条とも言える箇所からでした。

私は、すでに得たのでもなく、
すでに完全にされているのでもありません。
ただ捕らえようとして、追求しているのです。
そして、それを得るようにと
キリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。

兄弟たちよ。
私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。
ただ、この一時に励んでいます。
すなわち、うしろのものを忘れ、
ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて
上に召してくださる神の栄冠を得るために、
目標を目ざして一心に走っているのです。

ですから、成人であるものはみな、
このような考え方をしましょう。
もし、あなたがたがどこかで
これと違った考え方をしているなら、
神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。

それはそれとして、
私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。
(ピリピ3:12-16)


私たちは、キリスト・イエスを信じてからも、みな求道者として歩むのです。しかし、その求道中の私を、主はまず捕らえてくださいました。主が、私を捕らえてくださったのは、私がそれを捕らえる事ができるようになるためです。

「忍耐」とは、単に辛い事を我慢することではありません。
まだ見ぬ物を、必ず得ると確信して、先に喜ぶ事です。
すなわち、「忍耐」とは「信仰」なのです。


収穫には忍耐が必要です。
でも、信仰のある者にとっては、
種まきや耕すことも収穫の一部として喜べるのです。

さあ、作業に取りかかりましょうか!

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

初めまして、このBlogでは
初です。_(._.)_
ホセア書がそうでしたか。
今、しりました。汗

あと、農業ですね。
スローライフ。
しっかり、苗を植えてよく
耕して、じっくり・ゆっくりと待つ。

いいかんじですね♪

それでは。

さとけん さんのコメント...

いらっしゃい。
そうそう。時間がかかるのって、当たり前なんだからさ~!