2006/01/07

テモテの気持ち

テモテは、若くして大役を任せられた。

パウロは、その死の間際に、彼の「純粋な信仰(2テモテ1:5)」を呼び起こしている。
「純粋な信仰」を持つのは、たやすい事ではない。その「純粋な信仰」ゆえに、どれだけテモテは傷付いてきたことだろう。

パウロは、テモテの最大の理解者であり、指導者であった。
そして、パウロのテモテにあてられた手紙にあふれる愛は、読めば読むほど感動する。パウロがテモテにあてた最大のメッセージは、パウロ自身の生き方である。この手紙は、その生き方の手本があってこそ書けるものだ。知識をまとめた「教理マニュアル」でも、「伝道戦略」でもない。もちろん、パウロには非常に明確な教理と戦略があった。しかし、この手紙は、テモテという人格にあてて書かれた、パウロという人格そのものなのだ。彼の教理と戦略は、彼自身を思い起こしさえすれば、よく分かるのだ。


・・・しかし、あなたは、私の教え、行動、計画、信仰、寛容、愛、忍耐に、
またアンテオケ、イコニオム、ルステラで私にふりかかった
迫害や苦難にも、よくついて来てくれました。
何というひどい迫害に私は耐えて来たことでしょう。
しかし、主はいっさいのことから私を救い出してくださいました。
(2テモテ3:10-11)

しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、
困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。
(2テモテ4:5)


テモテの気持ちになってみた。
どれほど彼は、パウロという人格から、受けとめられる必要としていたことか。
これらの励ましのことばを受け取る必要があったことか。

テモテは、パウロの背中を見て育った。
そして、今パウロは、彼の近くにはいない。
それどころか、今、まさにパウロはこの世を去ろうとしているのだ。
純粋な信仰を持ち、困難な状況に一人置かれているテモテに、
この手紙を通して、知識ではなく、パウロという人格が生き続けることになる。

キリストに従う生き方は、その生き方を通して伝えられるべきなのだ。


「牧会書簡」と呼ばれるこの手紙。
「牧会」とは何かを考えさせられる。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

激しく同意。クリスチャンの先輩からはもっとそういう(生き様・・・その人の人生など)を伝えてもらえないものかと最近思っています。受けつくべきもの、引き継ぐべきもの、答えは「愛」なのかもしれないが、自分で実感したいですよね。「愛されたなア~」「信頼されてるなア~」とかね。ったくさびしいなア。むと

さとけん さんのコメント...

オ、オレの背中を見て育てっ!(笑)