2006/01/10

原則ゆえの変化

新春恒例になった、JCMN断食祈祷会。
今回、特別に来て下さったベン・ウォン師は、私たちにチャレンジした。

「確信したことをやり続けなさい。」

本質を求め、原則中心に考えよということ。
だからこそ、方法に関しては自由になれるのだ。

彼が今日、部分的に話してくれた原則はこれ。
(1) 神のみこころが中心だということ。
(2) コミュニティを形成する必要があるということ。
(3) あわれみの心をもつこと。

私たちは、あせって実を得ることに目がくらまされて、根っこを見過ごしていないか?

私たちは、「セル教会」の方法論を、原則と履き違えていたのではないか?
何が、聖書的な原則なのか、もう一度原点に立ち返る必要がある。


日本の国を愛し、憂い、悔い改め、とりなす、真のしもべ達がともに祈っている。
主よ、あなたにあっては、不可能なことは何一つありません。
あなたの目をお与えください!

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ちょっと仕事さぼてます。「セル」って3000人単位なのかな。。。むと

さとけん さんのコメント...

面白いこと言うねぇ。
私的解釈によれば、ミッション3000の「3000」には、3つの重要な意味があると思っています。

(1)初代教会のあり方に立ち返れというメッセージ。(2)既成概念を打ち砕くチャレンジ。(3)いつでも、その受け皿としての新しい皮袋を用意しておきなさいという心構え。

したがって、3000という数字にとらわれるのは愚かだけれども、神からのメッセージとしては十分聞くべきものがあるでしょう。我らはずれやすいんだけどね。

個人的には、セルの本質は「一人一人に与えられている神からの計画」があるということを信じて、それを最大限引き出すことだと思っています。そのためには、主体性を育てる訓練をしなければなりません。

なので、組織の原理を優先して考えはじめるととんでもないことに・・・!

匿名 さんのコメント...

12弟子から3000人っていう数字になる計算というのを教えてもらって、目から鱗が落ちたのはつい去年のこと。聖書のことばにこだわるという意味では象徴的な数字でいいと思うけど、同時に聖書のことばに縛られないで(この言い回しは誤解を招く恐れもあるけど)いないと、原則が本質を忘れたものになる可能性も否定できないわけで...。

(1)初代教会のあり方って誰か知ってるのか?、(2)誰の持っている既成概念のことか?、(3)それは自分には用意できないということを知っているという心構えなのか?...とか。そうやっていつでも誰でもどこにでも突っ込める環境をキープしていないと、ほぼ必ず組織の原理が優先されるようになるでしょうね。逆に考えれば、受け取る人々の心がいつもちゃんと生きた畑であり続ければ、決して空しいお題目になることはないだろうと思う。祝福を祈ってます。

さとけん さんのコメント...

一人一人がいつも本質を求める事ができるように耕していく役割が必要ですよねぇ。
イエス様がそうだったし、パウロがそうだった。

また「既存の権威に従う」ことは、必ずしも「既存の権力のあり方に同意する」とは限らない。既存の権威(組織の論理)に敬意を払って従いつつも、自由に本質的な歩みをする事は出来ますよね。

個人的には、「イエスに従う者」の模範としては、やっぱりパウロの姿勢が一番です。イエス様自身は「イエスに従う者」ではないからねぇ・・・。(笑)