切ないよ、パウロさん。
そんな哀愁に満ちたセリフ。
私はあなたがたのたましいのためには、
大いに喜んで財を費やし、
また私自身をさえ使い尽くしましょう。
私があなたがたを愛すれば愛するほど、
私はいよいよ愛されなくなるのでしょうか。
(2コリント12:15)
パウロは、自分を理解せず、疑い、拒絶するコリントの人々に対し、権力や自己正当化や、強硬手段を用いることを望まなかった。そのかわり、何とかして彼らの心が開かれるように、まず自らの心を彼らに対してオープンにした。
コリントの人たち。
私たちはあなたがたに包み隠すことなく話しました。
私たちの心は広く開かれています。
あなたがたは、
私たちの中で制約を受けているのではなく、
自分の心で自分を窮屈にしているのです。
私は自分の子どもに対するように言います。
それに報いて、
あなたがたのほうでも心を広くしてください。
・・・私たちに対して心を開いてください。
(2コリント6:11-13, 7:2)
相手の心を開かせるにはどうしたらよいのか?
私はいつも、「北風と太陽」の話を思い出す。
強硬手段は、人の心を開かせるどころか、閉ざしてしまうのだ。
パウロは、彼らに対して、「信頼」を告白した。
「愛」と「希望」を明らかにした。
私のあなたがたに対する信頼は大きいのであって、
私はあなたがたを大いに誇りとしています。
私は慰めに満たされ、どんな苦しみの中にあっても
喜びに満ちあふれています。
私は、あなたがたに全幅の信頼を寄せることが
できるのを喜んでいます。
(2コリント7:4,16)
パウロが、実際には彼らとの関係で非常に葛藤を覚えていたのは明らかだ。しかし、パウロは、彼らを本当の意味で生かし、主体的な愛を引き出すためには、彼らを信頼すること、そして彼らにその信頼を伝えることが一番必要なことであることを理解していたに違いない。
てっとりばやい解決を求めるあまり、私たちはこの「信頼」を重視しない。
でも実は、真の信頼関係こそ最短の問題解決なのだ。
3 件のコメント:
こんちゃ。Youthのサイトから飛んできました。
宝飯と申します。
>主体的な愛を引き出すためには、彼らを信頼すること、
そう、そうなんだよね。
良い人間関係を築くにはまずは信頼から始まると思う。
信頼関係は人間関係において重大だし、信頼しあえる人間関係は最高だよね。
しかし、パウロって本当に殉教者だよね。仕えきったって言う言葉が似合う。
時々、「ここまでやるのかぁ!?」って思う時があります。
パウロの姿を自分と照らし合わせてみると、
自分、もっと何かできるんじゃないかって思うよ。。。
少し具合はよくなりましたか~?
宝飯さん、こんにちは。
たつみちゃん、今日はオフィシャルな定休日なので、家で休んでいます。体はずいぶん楽になりました。ありがとう。でも「鼻すすらないほうがいい」ということを意識しすぎて、ゴミ箱はあっという間にティッシュの山だよ・・・。
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