2006/01/14

もう一度、ラブ・レター

パウロさんの手紙、やっぱり泣けます。

どんな気持ちで手紙を書いたのか、
どんな思いをその手紙に込めたのか、
そして、そこから何を生み出そうとしていたのか。

何で今まで気が付かなかったのだろう!


あなたがたが私たちの奉仕による
キリストの手紙であり、
墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、
石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが
明らかだからです。
(2コリント3:3)


あなたがた自身が、私たちの奉仕を通して生み出された
「キリストの手紙」なのです・・・。

つまりパウロにとって、彼らに手紙を書くのも、訪問するのも、交わりをするのも、
すべて、彼ら自身が「キリストからのラブ・レター」として整えられるためなのだ。
その手紙は、彼らの心の板に記される。
・・・人々が彼らの心をに触れるとき、生きたキリストの愛が伝わるようにと。

そういう意味で、パウロの使命は、「手紙を書くこと」だったのかもしれないです。
なんか、感動です。


ところで、そんなパウロさんの手紙を読んだ、我らの愛するペテロさん。
彼が、負けじと書いた(?)手紙の中で、パウロさんの手紙について、
こんなコメントを残しています。


また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。
それは、私たちの愛する兄弟パウロも、
その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。

・・・その手紙の中には理解しにくいところもあります。
無知な、心の定まらない人たちは、
聖書の他の箇所の場合もそうするのですが、
それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。
(2ペテロ3:15-16)


ぷっ!
「パウロさんの手紙ってのはさあ、難しくて分かりにくいんだよね~。」
なんて、ペテロさんに言ってもらえると何だかほっとします。(笑)
パウロに面と向かって責められた経験のあるペテロさん。(ガラテヤ2:11)
ちょっとした、皮肉ですかねえ。

でも、パウロさんの手紙をその時代の聖書(旧約聖書)とすでに同列に
扱っていたことは伺えますね


「私たちも手紙なんだ。」

人は、私からどんなメッセージを読み取ってしまうんだろう。
どきどきです。

2 件のコメント:

Mary Chikagami さんのコメント...

けんじくん、こんにちわー。
しょうこちゃんちにコメントしてたでしょう。それでBlogやってるのかぁと思ってのぞいたら、Blogger.comだったので、びっくり。他にここ使ってる人あまりいないからね。
時間とか、どうすれば日本語ででるの?
うちはwww.chikalee517.blogspot.com
です。よかったらどうぞ。

たつみ

さとけん さんのコメント...

たつみちゃん、いらっしゃい~。
bloggerにしたのは、単なる気まぐれです。っていうか、あんまり考えなかったけど、ひっそりこっそりしてよっかな~なんて思ったので、日本ではマイナーな所もいいかなと。
時間とかは、設定のフォーマットをいじれば変えられます。じゃあね~。